はじめに|自由は誰に認められるものか
「すべての人間は生まれながらにして自由であり」。世界人権宣言第1条に対応する言葉だ。自分がどこに生まれ、どんな地位にあるかにかかわらず、尊厳と権利は等しく認められる。人間であるということ自体を尊重の出発点とする原則がここにはある。
「自由」とは何をしても構わないという意味なのだろうか。社会では他者の自由もまた尊重しなければならず、一人だけの権利を無制限に優先すれば衝突が起こり得る。自分の自由と他者の尊厳を同時に考える必要がある。
この文言を個人の名言として紹介するのは正確ではない。第二次世界大戦後に国際連合総会が採択した宣言の一部であり、加盟国が共有する人権の基本原則として掲げられた。誰の、いつの、どの文書にある言葉かを確かめることから読んでいきたい。
出典|1948年12月10日の国連総会決議
国連の世界人権宣言公式全文では、第1条は「All human beings are born free and equal in dignity and rights.」という英文で始まる。1948年12月10日にパリで、国連総会決議217 Aとして宣言された。原文の文字列、文書名、条文番号と採択日を同一の一次資料で確認できる。
続く文章には、理性と良心を備えた人が互いに連帯する精神をもって行動すべきだという考えが示される。権利を持つ主体としての個人と、他者との関係が第1条の中で結ばれている。最初の一文だけで全部を説明したことにはならない。
ただし世界人権宣言は条約そのものではなく、共通の達成基準として国連総会が掲げた宣言である。宣言の理念があることと、各国でそのまま直接適用される法的な規則であることは別だ。各国の制度は個別に確認する必要がある。
尊厳とは|成果や肩書で測らない価値
「dignity」は、人間としての尊厳を意味する。仕事の成績が高い人も低い人も、社会的な評価がある人もない人も、基本的な人間の尊厳を持っている。人格的な価値を、成果や収入の点数に換算しないことがこの原則の要点だ。
「rights」は権利を表す。権利を認めるとは、抽象的に人を褒めることだけではない。不当に扱われないための仕組みや、必要な機会へアクセスできる条件を考えることにも結びつく。尊重という気持ちを、社会の仕組みとつなぐ必要がある。
一方、同じ尊厳を認めることは、全員を同じ環境に置けばよいという話でもない。身体の状況や家庭の条件が違えば、参加するために必要な支援も異なる。形式的な平等と、実際に権利を行使できることを区別するのも大切だ。
第2条との関係|誰を例外にしないか
第1条の「すべての人間」という表現は、第2条でさらに具体化される。国連の公式本文は、人種、皮膚の色、性別、言語、宗教、政治上の意見や出身などによる差別なく、宣言に掲げる権利を享有できると述べる。抽象的な平等を、さまざまな違いを持つ人々へ向けている。
しかし宣言に書かれているだけで、現実の差別が消えるわけではない。制度の使いづらさや偏見によって機会が妨げられる場面は残り得る。原則が存在するという事実と、原則に沿った実態が実現しているかを分けて調べることが必要だ。
また、意見の違いをなくすことが平等なのではない。互いの考え方が異なっても、その人の尊厳を軽く扱ってよいということにはならない。多様な選択と平等な尊重は両立すると考えたい。
現代の読み方|身近な判断にも通じる原則
仕事でも学校でも、人を評価しなければならない場面はある。それでも能力を評価することと、人格全体の価値を決めることは同じではない。役割への評価と、人としての尊重を分ける姿勢を持つことはできる。
一方、権利が侵害された人に「気持ちを強く持って」と言うだけでは問題が解決しない。必要な相談窓口、具体的な制度、再発を防ぐ仕組みが求められる場合がある。個人の心構えと、制度を改善する責任を混同しないことが重要だ。
2015年の国連「誰一人取り残さない」という言葉も比較できる。前者は1948年の人権の共通基準、後者は開発目標に関する約束である。成立した時代と目的を区別しながら、人を置き去りにしない考え方を読むことができる。
まとめ|人間としての尊厳を出発点にする
「すべての人間は生まれながらにして自由であり」は、1948年12月10日採択の世界人権宣言第1条に対応する。国連の原文に、自由と尊厳・権利の平等を明記した英文があるため、出典タグ114を適用する。
この一節は、人の価値が社会的な役割や能力で決められるわけではないという原則を示す。同時に、他者をどう扱うかという行動上の課題も残している。自分と他者の尊厳を同じ重さで捉えることが重要だ。
主要資料は国連公式・世界人権宣言第1条および第2条。日本語は原文の意味を示す表現であり、個別の法律問題では関係する国内法や条約を別途確認する必要がある。