「何でも知る」より「常に学ぶ」という言葉
サティア・ナデラが語った「Know-it-allからLearn-it-allへ」は、知識を持つことよりも、学び続ける姿勢を大切にしようという言葉です。英語のknow-it-allは「何でも知っているつもりの人」、learn-it-allは「何でも学ぼうとする人」という対照を作っています。単なる英語の語呂合わせではありません。
2019年1月に日本マイクロソフトのニュースサイトで公開された、経団連の中西宏明氏とナデラの対談では、本人がこの対比を企業文化の話として述べています。同社は2014年のCEO就任以降、組織内の学習と顧客への関心を重視する文化づくりに取り組んだと説明されています。
重要なのは「知識がある人はよくない」という意味にしないことです。プログラムを書くにも、製品を売るにも、深い専門知識は欠かせません。問題は、知っていることを自分の立場を守るための壁にしてしまうこと。新しい証拠や顧客の声に出会っても変われないなら、優秀さが学習を妨げてしまいます。
2018年の対談で本人は何を語ったか
日本の経団連会長との対談でナデラは、マイクロソフトの変革には二つの柱が必要だと話しました。一つはミッションに対する目的意識、もう一つはそれを実現する企業文化です。最新の技術を導入するだけでは、組織全体の変革にはならないという文脈から、学び続ける姿勢の話が出てきます。
日本語掲載版には、社内で「Know it all(すべて知っています)」から「Learn it all(常に学び続けます)」に変わるにはどうすればよいか、とよく話すという本人の発言が記されています。さらに、新しいアイデアを探し、新しい能力を身に付け続ける組織文化が必要だと続きます。
したがって「何でも学べば必ず成功する」という抽象的な人生訓ではありません。この場での話題は、ソフトウエア、顧客、事業の変化に対応するための企業文化です。会社が何のために存在するのかという目的と、日々の学習の仕方を一緒に考える。そこにこの短い対比の出発点があります。
「知ったつもり」が組織に生まれる理由
会議で分からないことを尋ねると、準備不足に見られるのではないか。何か新しい提案を試すと、失敗したときに評価が下がるのではないか。こうした心配が強い職場では、知っているように振る舞うことが、仕事そのものより優先されがちです。
Microsoftの2017年の企業文化記事は、それまで同社にあった激しい社内競争と、変革後に重視するようになった顧客中心・多様性・一つの会社としての協力を対比しています。人事評価にも他者への貢献や協力を取り入れたと説明しています。学びの文化は、精神論だけではなく評価と行動の設計にも関わるのです。
もっとも、これはMicrosoftが発信する自社の改革説明です。文化改革の因果関係や業績への効果を、この紹介記事だけから客観的に実証したことにはなりません。何を目指して、どのような仕組みを変えたと公表しているかと、「だから成果が上がった」という因果の主張は分けて読むべきでしょう。
グロースマインドセットとの関係
Microsoftの企業文化に関する記事では、心理学者キャロル・ドゥエックのグロースマインドセットの考え方が紹介されています。能力は初めから完全に決まっていて変えられないものではなく、学習や取り組み方を通じて発達し得るという発想です。learn-it-allは、その考え方を日常の仕事の言葉にしたものと言えます。
しかし「頑張れば必ずどんな能力でも伸びる」と単純化しすぎてはいけません。学ぶ機会の公平さ、時間、周囲からの支援、仕事の設計も大きく影響します。本人の意欲にすべてを負わせるなら、学習文化のはずが、失敗した個人を責める道具になりかねません。
2017年のMicrosoftの記事が、チームの協力や評価の変え方にも触れているのはこのためです。学習する個人を増やすだけではなく、質問や反対意見、実験から得た知見を組織で扱えることが重要になります。知識を独占する人より、知識を更新して共有できる人が力を発揮する組織が理想に近いでしょう。
AI時代の仕事で、どう実践できるか
生成AIが文章やコードを瞬時に出してくれると、分かった気になりやすくなります。けれども、答えが流暢であることと、内容が正しいことは別です。最も危険なknow-it-allは、自分が知らないことを知らない状態かもしれません。AIの回答にも、出典・前提・例外を確認する姿勢が求められます。
たとえば営業とマーケティングのチームなら、商談の失注理由を一つの部署の責任にせず、顧客との会話や実測データを使って仮説を更新できます。もちろん、これはナデラがその会議で指定した手順ではなく、現代のBtoB実務への応用です。「相手の話を聞いて考えを変えられたか」を確認することが、学習の入口になります。
2025年に公開されたナデラからMicrosoft社員へのメッセージでも、同社の文化としてlearn-it-allの姿勢を保つことが語られています。これは一時的なスローガンではなく、少なくとも会社が継続して掲げる行動理念です。分からないことを認め、調べ、試し、学び直す。日々の小さな行動に落とし込んで初めて意味を持ちます。
原典と、さらに読むための入口
原典確認の根拠: Microsoft News Center Japan「変化の時代に未来を創る」のナデラ本人と中西宏明氏の対談で、Know it all/Learn it allの対比と、それがミッションと企業文化の話として語られた文脈を確認できます。記事は月刊『経団連』2019年1月号の対談を転載したもので、2018年の変革について述べています。
同社の変革過程については、Microsoftの2017年の文化改革記事を参照できます。また、2025年のナデラ社員向けメッセージにも、この理念の継続が示されています。本人の対談、会社側の改革説明、後年の継続表明はそれぞれ資料の役割が違います。
同じ人物の別の言葉として、「優れた革新は共感から生まれる」の記事もあります。事業と顧客の接点を考えたい方はBtoBマーケティングのガイドへ、ほかの経営者の言葉と比較したい方は経営者・起業家の言葉へ進めます。学ぶ姿勢がどう顧客理解や組織の行動へつながるのかを、それぞれ異なる角度から読めます。