はじめに|学ぶことが人を分けるのか
「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」は、福澤諭吉『学問のすすめ』初編の一節である。生まれつきの身分だけでなく、学ぶ機会と努力が社会での違いを生むという考えを示す言葉として読める。
ただし、「賢人」「愚人」という対比を現代の人間評価へそのまま移すのは適切ではない。学び続けられるかどうかには、経済状況、健康、地域の教育環境なども関係する。人の価値を学歴や知識量だけで決める言葉として扱わないことが必要だ。
この一節は、有名な冒頭「天は人の上に人を造らず」に続く議論の中にある。平等という原則を掲げながら、現実の格差はなぜ生じるのかを問う流れを理解して初めて、この文の位置づけが分かる。
原典|『学問のすすめ』初編の文章
青空文庫が公開する福澤諭吉『学問のすすめ』の「初編」に、対象の一節が掲載されている。直前には『実語教』の「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」という言葉が挙げられる。この一節は『実語教』を引いた後、福澤がその意味を自らの議論へ展開した部分にある。
冒頭で福澤は生まれながらの上下の差別がないと述べ、そのうえで実社会に貧富や地位の違いがあることを問いかける。「人間は平等に生まれる」という主張と、「実際には違いがある」という観察を対置することで議論を始めている。
続く箇所では、学問の力と社会での働きの関係が論じられる。短い一節を普遍的な成功法則へ切り取るのではなく、明治初期の学問観と社会観の中に戻すことが重要だ。
「学ぶ」の意味|日常の実学へ
『学問のすすめ』初編は、難しい文字や古典を覚えることだけを学問とはしていない。手紙、算盤、地理、歴史、経済など、生活で役立つ知識を例に挙げる。学問を一部の専門家のものにせず、日々の暮らしを営む人々へ開こうとした点が大きい。
学ぶという行為は、知識を貯めるだけでは終わらない。物の性質を知り、社会の仕組みを考え、自分の仕事や生活の判断に生かす必要がある。実学という言葉を、暗記ではなく現実に向き合うための知識として読むと分かりやすい。
現代では情報に接する手段が増えたが、情報を見たことと理解したことは同じではない。事実を確かめ、違う意見を比べ、自分の状況に合わせて使うという学びの姿勢は、時代が変わっても重要である。
差が生まれる理由|機会への視点も必要
福澤は、学問を通じて人が自立し、社会で役割を果たすことを重視した。その考えには、固定的な身分によって将来を決めないという方向がある。生まれによる上下を当然視する社会への問いとして読むことができる。
一方で、学ぶ人と学ばない人を単純に分ければ、教育の機会を得られなかった人の事情が見えなくなる。病気、貧困、家庭の事情など、本人だけでは動かしにくい条件がある。学びを重んじることと、学べない状況の人を責めることは別である。
この一節を現代に生かすなら、個人に勉強を求めるだけでなく、学ぶ機会を社会がどう支えるかを考えたい。生涯学習や学び直しを可能にする制度と、本人の好奇心の両方が大切になる。
「天は人の上に」とのつながり
冒頭の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は、福澤がそう言われていると示してから議論を始める表現である。その一文だけを切り出すと、直後に続く現実社会の格差への問いが抜け落ちる。
「賢人と愚人」の一節は、その問いに対して学問という切り口を提示する位置にある。平等を出発点として、それを日々の暮らしに生かすには何が必要かを考える文章である。二つの言葉は独立した標語ではなく、続く議論の中で役割を分担している。
さらに『学問のすすめ』には一身の独立と国の独立を論じる部分もある。学ぶことを個人的な成功に閉じず、社会に関わる力として位置づける点に、著作全体の大きな関心が見える。
まとめ|学ぶことを開かれた力に
「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」は、『学問のすすめ』初編にある言葉である。学ぶことによって人が判断の力を得て、生活や社会との関わり方を変えられるという可能性を語る一節だ。
この言葉を、人を序列化するための便利な格言に変えないことが大切である。学ぶための時間や資源が得られない人にも、その人固有の経験と価値がある。学問の力を本当に重んじるなら、学ぶ入口を広げる視点を持ちたい。
原典確認:青空文庫・福澤諭吉『学問のすすめ』初編。タグ114根拠:初編の『実語教』引用直後に「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり」を逐語確認し、冒頭の平等論と後続の実学論を照合。関連する「天は人の上に人を造らず」と「一身独立して一国独立する」の記事も合わせて読むとつながりが分かる。