「つぎ、なにつくろう」が問いかけること
エステーは2026年に、新しい企業スローガンとして「つぎ、なにつくろう」を掲げた。完成した商品を買ってもらうための直接的な宣伝文句とは異なり、次に何を作りたいかを問いかける言葉だ。今ある製品の説明より、これから生み出す価値を考える行為そのものを前面に置く点が特徴である。
「つぎ」という語は、既に積み重ねてきた仕事があることを前提にしながら、その延長だけではない選択肢を含ませる。「なに」と尋ねる形には、答えをあらかじめ決めない余白がある。会社が一方的に次の正解を示すのでなく、何を生み出すかを考える入口をつくる表現と読める。
一見すると、子どもでも使えるような短い問いである。しかし企業にとって何かを「つくる」とは、物理的な製品だけでなく、サービスや利用体験、働き方、事業の仕組みを見直すことにもつながる。動詞は簡単でも、対象は広く開かれているという組み立てになっている。
ただし、問いかける言葉の魅力と、企業が実際にどんな価値を生み出せたかは別の問題である。新しいスローガンを制定したことだけで事業の成果を認定することはできない。目指す方向を語る言葉と、取り組みの結果を示す資料を区別する姿勢を持ちたい。
原典|エステーの2026年8月26日公式発表
出典はエステー株式会社が2026年8月26日に公開した新企業スローガン制定に関する公式ニュースリリースである。創立80年の節目に「つぎ、なにつくろう」を制定したと明記され、その制作過程や意図が説明されている。企業自身の一次発表で、言葉、制定主体、発表日を確認できる。
同発表によると、全部署でワークショップが行われ、748名の社員が参加した。参加者がエステーらしさを考える過程から、挑戦と新しい価値を生み出す決意が導き出されたという。外部から完成したコピーを与えられたという説明ではなく、社員の参加した過程が公式に示されている。
公式リリースでは、製品の領域を超えて事業、サービス、体験、仕組み、ビジネスモデルまで、新しい価値をつくる対象として挙げている。したがって「次の新製品は何か」という商品開発だけの質問に狭めるのは適切ではない。価値創造を企業活動のさまざまな領域に広げるという意思が読み取れる。
2026年9月から放映する新CMについても同じ発表で紹介されているが、今回はCMの出演者や演出を解説する記事ではない。対象は企業が公式に掲げた一節そのものだ。スローガンの制定とCMによる表現を分けて扱うことで、言葉の出典を追いやすくする。
なぜ問いかける形なのか
企業スローガンには「私たちはこうある」と断定する形も多い。それに対してエステーは「なにつくろう」と読者に向けた問いのような形を選んだ。答えを一つに絞らないため、職種や立場が異なる人も考えを重ねられる。短い言葉を、組織内の対話を始める道具として用いる可能性がある。
「つくる」という動詞には、製品を生産するだけでなく、考えたり試したりする行動が含まれうる。しかし、何を作ればよいかの判断には市場の変化や利用者の困りごとを確かめる必要がある。自由な発想と、相手の実際の課題を調べることは両立して初めて価値になる。
全員が参加するワークショップを行ったという説明も、組織の意思決定を考えるうえで興味深い。参加したことと、全員の案が採用されたことは同じではないが、多様な視点を集める場を設けたという事実は残る。参加の人数と、意思決定の質や成果を混同せずに評価することが大切だ。
また創立80年の節目は、過去の蓄積を手放すためだけではなく、次の時代へどう持ち込むかを問い直す機会でもある。既存の仕事を否定して始め直すのではなく、培ってきた強みを新しい対象へ向ける。継続と変化を二者択一にしないという読み方ができる。
経営理念や日々の仕事とどう関係するか
企業が掲げる短い言葉を読むときは、それが商品の説明か、企業全体の方針か、社内の仕事の姿勢かを区別する必要がある。「つぎ、なにつくろう」は企業全体の未来を問いかけるスローガンである。個別商品の性能を保証する表現ではなく、行動の方向を共有する表現と考えたい。
発表ではエステーのパーパスも別に紹介されている。パーパスは存在意義に関わる表現であり、新スローガンはこれから何を生み出すかへの呼びかけだ。異なる役割の企業の言葉を一つの標語として混ぜないことが、ブランドを理解する基本になる。
同じ企業の言葉を扱うシャープ「二意専心 誠意と創意」の解説は、経営信条として仕事の姿勢を定めた一節を読む記事である。エステーの言葉は未来に向けて開いた問いという形が中心だ。二社が何を宣言し、何を問いかけているのかを比較できる。
最後に、この問いを働く人の日常に置くなら、いつもの仕事を繰り返すだけでなく、どこに新しい困りごとや可能性があるかを確かめる姿勢につながる。ただし何か新しいことを常に生み続けなければならないという圧力にもしたくない。考える余白を確保しながら、確かな価値へ結びつける問いとして受け取りたい。