「型があるから自由にはできない難しさ」の意味
歌舞伎俳優の尾上眞秀は、歌舞伎舞踊と新たに挑んだダンスの違いについて「歌舞伎舞踊は、型があるから自由にはできない難しさがあり」と語った。受け継がれた型が表現の手掛かりになる一方、思いつくままに動けないという難しさを自分の経験として捉えた言葉である。
歌舞伎は長い時間をかけて舞台上の所作や台詞の伝え方を磨いてきた。その型には意味があり、稽古を通して身体へ覚え込ませる必要がある。型を知っていることと、型の内側で役を生き生きと演じられることは同じではないという問いが生まれる。
眞秀はこれに続けて、自由に表現するダンスには別の難しさがあると話した。型の制約がない場合も、動きを自分で考えなければならない。決まっているから難しいことと、決まっていないから難しいことがあると知った経験だ。
「型があるから自由ではない」という一節だけを切り離して、伝統芸能に創造性がないと断定してはいけない。演じ手の解釈や身体の個性は、同じ型を通しても変わり得る。伝統と新しい身体表現を優劣で比べず、それぞれの難しさを見つめる言葉として読みたい。
原典|Bunkamura公式2025年10月8日付取材
出典はBunkamura公式が2025年10月8日に掲載した「ワクワクする歌舞伎の世界に魅了されて/尾上眞秀さんインタビュー」である。「ダンス作品に初挑戦―新しい感覚を研ぎ澄ませて―」の節に本人の発言が掲載されている。媒体、公開日、発言者、文脈を直接特定できる。
眞秀は幼少期から歌舞伎の舞台に立ち、2023年に初代尾上眞秀を名のって初舞台を勤めた。取材では、祖父の舞台や舞台裏の仕事を身近に見てきた経験を語る。歌舞伎の型を考える発言は、長く親しんだ世界から別の表現へ踏み出した経験に根ざしている。
2025年12月には歌舞伎以外の舞台として、Kバレエ Optoの『踊る。遠野物語』への出演を控えているという取材時点の説明がある。これから挑戦する舞台の稽古で感じたことを語った資料であり、上演後の結果報告とは区別する必要がある。
記事には祖父や先輩俳優から聞いた言葉も登場するが、それぞれの発言者を混同しないようにしたい。今回の一節は眞秀自身が歌舞伎舞踊とダンスを比べて語ったものだ。本人が感じた違いと、他の演者が述べた助言を明確に区別することが出典確認の基本となる。
『連獅子』で初めてぶつかった壁
同じインタビューでは、眞秀が2024年の『連獅子』で大きな壁にぶつかったことを振り返る。獅子頭をつけた毛振りや細かな振りが思い通りにならず、稽古場で泣いたという。子どもの頃から舞台を楽しんできた人にも、身体が言うことを聞かない経験はある。
眞秀は一度やめたいと告げたが、共演者の尾上右近から気持ちを確かめる言葉をかけられ、もう一度稽古へ向かったと紹介される。ここでの励ましは右近から眞秀へ向けたものである。演じた本人の経験と、支えてくれた相手の助言を正しく分けて記すことが重要だ。
本番をやり遂げた後には、もう一度『連獅子』を踊りたいとも語った。つらさだけで終わらず、次に挑む気持ちへ変わったのだ。できないことを知る経験が、その表現をもっと深く学びたいという願いへつながる場合がある。
ただし困難を乗り越えた体験を、誰もがどんな状態でも続けるべきだという命令にしないようにしたい。負担や安全への配慮も必要になる。本人にとって意味のあった挑戦として、過程と周囲の支えを合わせて読むことが大切だ。
伝統芸能とダンスにある異なる自由
眞秀は歌舞伎では型を守ることが難しいと述べる一方、ダンスでは身体全体を使って自由に表現することの難しさを感じている。何でも自由にしてよいと聞いても、表現の目的がなければ動きは決まらない。自由には、自分で選ぶための判断が必要になるという気づきがある。
伝統芸能の型は、過去の人々が蓄積した表現の知識でもある。型を覚えることで、初めて細かな違いに気づける場合もあるだろう。決まり事は創作を妨げるだけでなく、表現を始めるための手掛かりにもなる。
対して新しいダンス作品では、演出家が動きを一から考える苦労もあると眞秀は語った。演じる側だけでなく、作品を形にする側も答えのない問いへ向き合っている。舞台で見える動きの背後には、振付や演出を選ぶ人の仕事もある。
この言葉を、どちらの表現が優れているかという競争の話へ変えるべきではない。型の中で表すことも、型の外から動きを作ることも、それぞれ学びを要する。別の分野へ触れることで、自分が慣れ親しんだ表現の特徴も見えてくるのだろう。
型を学ぶことから、次の表現へ向かう
眞秀は祖父の当たり役をいつか勤めたいという希望に加え、女方舞踊や海外での公演にも関心を示した。歌舞伎で学んできたことを大切にしながら、新しい舞台にも目を向けている。伝統を引き継ぐことと、新しい挑戦を試みることは矛盾しないと分かる。
吉田玉助「主遣いとは指揮者のようなもの」は、文楽の複数の演者が一体となるための役割を説明する。決まり事や役割があるからこそ、互いの動きを合わせられるという伝統芸能の側面を読み比べられる。
市川團子「不安よりも好きとか憧れの感情に助けられましたね」は、歌舞伎に向かう気持ちの支えについての言葉だ。伝統の難しさを知りながらも、その舞台へ立ちたいという願いを持ち続ける点で重なっている。
「型があるから自由にはできない難しさ」は、伝統を批判するためだけの言葉ではない。別の舞踊に触れて、自分がそれまで学んできた型を改めて意識したという経験である。違う世界へ一歩進むことで、自分の世界の豊かさと難しさを新しく知るという意味が残る。