「心に子供の部分を残す」という言葉
ピアニストのアレクサンダー・ガヴリリュクは、シューマン、チャイコフスキー、プロコフィエフの作品を組み合わせたリサイタルを語るなかで、「心に子供の部分を残し、その感覚とのつながりを消さずにいることで」と述べた。大人になっても、子どものころの世界の見方を忘れずにいたいという願いが表れた言葉だ。
続く発言では、人が物事に余計な意味を与えず、公平な喜びを感じられるのではないかと問いかけている。子どもの世界が常に穏やかであるという事実の説明ではなく、演奏家として抱く理想の比喩だ。他者を最初から枠にはめずに見るという態度を音楽のプログラムへ重ねている。
子ども時代の感覚を残すとは、知識を増やさないことでも、社会の問題を知らないふりをすることでもない。経験を積んでも驚いたり疑問を持ったりできる余地を失わないこととして読める。知識と好奇心を相反するものとして扱わない視点が大切だ。
ただし、子どもと大人を一律に比較して、どちらが純粋で正しいと決めつけるべきではない。国や環境によって経験は異なる。ガヴリリュクの音楽的な構想から生まれた願いとして受け取り、普遍的な心理法則だと断定しないようにしたい。
原典|2026年9月28日付ジャパン・アーツ取材
出典はジャパン・アーツ公式の「アレクサンダー・ガヴリリュク インタビュー【前編】」である。2026年9月28日公開、取材・文は高坂はる香。シューマンとチャイコフスキーが描く子どもの世界の違いを尋ねられた回答で、対象の一節を確認できる。媒体、話者、公開日、質問と原文の位置を特定できる。
リサイタルの構成は、シューマンの『子供の情景』とチャイコフスキーの『子供のためのアルバム』に、プロコフィエフの『戦争ソナタ』第6番と第7番を組み合わせるものだ。子ども時代の記憶と戦争の表現を並べることで、音楽を通して違いを感じてもらいたいという構想がある。
ガヴリリュクは「無垢なるものへの戦争」をプログラムのテーマとして挙げ、人間が歴史の中で繰り返す争いにも触れている。これは演奏会の解釈を説明する本人の言葉であり、全ての歴史上の戦争の原因を分析した研究ではない。音楽家の問題意識と、歴史学的な因果関係の説明を区別する必要がある。
取材は日本語で掲載された編集済みインタビューであり、元の言語で話された一語一句の録音を照合したわけではない。本記事では公式に掲載された日本語の発言として帰属を明示し、翻訳が唯一の表現だとは主張しない。
「子供の情景」と「子供のためのアルバム」
ガヴリリュクはシューマンの『子供の情景』を、大人が子どものころを振り返る視点から生まれた音楽と捉えている。一方でチャイコフスキーの『子供のためのアルバム』には、子どもの世界を内側から描く感覚があるという。似た題材の作品でも、どの位置から世界を眺めるかによって表現が異なるという解釈だ。
懐かしさを感じて思い出を振り返ることと、いま目の前の物に驚くことでは、時間の流れが違う。ガヴリリュクは二つの作品を並べることで、その違いを聴いてほしいと考えたのだろう。プログラムの曲順も、演奏家が伝えたい問いを作るための手段になると分かる。
ただし、これらの曲が作曲家自身にとって何を意味したのかは、手紙や作曲時の記録など別の資料による確認が必要だ。本人の演奏構想を、そのまま作曲家の確定した意図とみなすべきではない。作品の史実と、現在の演奏家が提示する読み方を分けて考えることが重要になる。
同じ曲を聴いて、異なる感想を抱く人もいるだろう。子どもに関する印象は、生育環境や経験によって変わる。曲に込められた唯一の正解を探すより、自分がどのような子ども時代を思い描いたかを確かめる鑑賞方法もできる。
戦争ソナタと無垢さの対比
ガヴリリュクは、子どもの音楽の後にプロコフィエフの『戦争ソナタ』を置くことで、暴力や分断の世界を強く意識させたいと語った。美しい音だけを並べるのではなく、異なる作品の間にある落差を聴かせるプログラムである。
プロコフィエフの作品を、恐ろしさだけでできた音楽とは捉えていない。ガヴリリュクは劇的な表現の中にも、希望やあたたかさが残っていると感じると説明している。暗い表現の中にも別の可能性を探す姿勢が、今回の言葉と結び付いている。
ただし戦争体験の重さを、音楽の効果だけで説明することはできない。実際に傷ついた人の経験は個別であり、曲を聴けば争いが消えるということでもない。音楽が問題への視線を向けるきっかけになり得ることと、社会的な解決そのものを区別するべきだ。
ガヴリリュクはプロコフィエフが体制に対する反抗心を音楽へ表した点にも魅力を感じると語る。表現を通して現実を問い直すことと、子どものような眼差しを残すことの両方を大切にしたいという願いが読み取れる。
大人になっても、聴く耳を開いておく
「心に子供の部分を残す」という言葉を、自分の年齢を忘れるという意味にする必要はない。経験や知識を持つ大人として、初めてのものに出会ったときの驚きを失わないことだ。知っていると思っていた作品に、別の面を見つける姿勢が音楽の鑑賞にも役立つ。
イヴァン・フィッシャー「音楽は独創的で新鮮でなければなりません」は、同じ作品を繰り返し演奏するときにも新しい発見を求める言葉だ。慣れた音楽を、もう一度初めてのように聴き直す点で通じるものがある。
ブルース・リウ「ピアノは他のどの楽器を模倣しようとしているのか?」は、楽器の音に何を想像するかを問う。自分の知識だけで解釈を閉じず、別の響きを想像することが演奏の可能性を広げる。
ガヴリリュクの一節は、子ども時代を無条件に理想化するためだけの言葉ではない。分断のある世界を見つめながら、誰かを決めつけず、喜びを感じられる余地を守りたいという願いだ。大人として考えることと、初めて見るように世界を見直すことを両立する問いとして残る。