パスカル「人間は天使でも獣でもない」|「天使になろうとすると獣になる」の本当の意味

「人間は天使でも獣でもない。そして天使になろうとする者は獣になる」。パスカル『パンセ』に残る、鮮烈な逆説です。一般的には「完璧主義はよくない」「理性と本能のバランスが大事」という意味で紹介されがちですが、原文の文脈は、人間の偉大さと悲惨さを同時に見つめるキリスト教的な人間論と結び付きます。

今回はフランス語の断片に加え、原稿の所在、編集版による番号の違い、後世の刊行時期まで確かめます。文脈を元に戻すことで、一行の自己啓発では見えにくい意味を考えます。

出典:『パンセ』の「天使でも獣でもない」

原文は、パスカル研究資料Pensées de Pascal「Pensées diverses III」第31断片で確認できます。“L’homme n’est ni ange ni bête, et le malheur veut que qui veut faire l’ange fait la bête.” という一文です。

前半は「人は天使でも獣でもない」。後半は「天使のように振る舞おうとする者が、かえって獣のようになるという不幸がある」というほどの意味です。ここでの「faire l’ange」は単に親切にすることではなく、天使を演じる・天使のようであろうとすることを含んだ表現です。

流通する訳には「天使になろうとする」「天使のまねをする」など差があります。訳語だけを使って、パスカルがどんな努力も否定していると解釈するのは慎重であるべきです。

断片番号に注意:ブランシュヴィック358、ラフュマ678

同研究資料が示す対応は、ブランシュヴィック版358/ラフュマ版678/セリエ版557です。元の分類は「Pensées diverses III」第31断片で、原稿は研究資料の整理番号「RO 427-9」に対応しています。

『パンセ』はパスカルの死後に断片を編集して刊行されたもので、著者が完成した章立てで読者へ渡した一冊ではありません。したがって編纂法によって番号や収録順が異なり、複数の数字が出てきてもそれだけで誤りとは限りません。

この一節はWikisourceのブランシュヴィック版第6節でも、358番として確認できます。引用するときは「『パンセ』」だけでなく、可能なら版名と番号を添えるのが親切です。

出版の歴史:最初の1670年版にそのまま載ったわけではない

原稿・刊行史を照合するPensées de Pascalのポール・ロワイヤル版比較資料によると、該当する断片は初期の編集段階でも検討されましたが、1678年の増補版で掲載されました。資料は1670年の版に向けて検討された短縮案にも触れています。

現在よく引用される文章が、著者の死後どのように編集されて読まれてきたのか。この経緯を知ると、単に「1670年刊の『パンセ』に書いてある」という紹介だけでは、掲載史を十分説明できないことが分かります。

ただし刊行時期と、パスカル本人が草稿を書いた正確な日付は別です。今回の資料から各語句をいつ書き付けたのかまで日付を確定したわけではありません。

「人は天使でも獣でもない」が問う二つの極端

この短文は、人間が他の生き物と天使との中間にいるという単純な分類図ではありません。自分の弱さや衝動をすべて消した完璧な存在だと思おうとすること、それ自体が傲慢や不寛容につながる可能性を、逆説の形で示していると読めます。

しかし反対に、人間は弱いのだから何をしても仕方がない、という自己放棄をすすめるものでもありません。パスカルの人間論では、人は弱さを持ちながらも、自分の状態を知り、真理を求める能力を持つ存在だからです。

重要なのは、人間の偉大さだけを見ても、悲惨さだけを見ても、一面的な像になってしまうことです。両方を見せる必要性を、別の断片が明確に述べています。

別の原典:人間の「偉大さ」と「悲惨さ」の両方を見せる

同じ『パンセ』の「Contrariétés」第3断片では、人間が獣と同じ面を持つと示すだけで偉大さを知らせないことも、偉大さだけを示して卑小さを知らせないことも危険だと述べています。二つとも知らないことはさらに危険だとする議論です。

こちらの断片の対応番号はブランシュヴィック418/ラフュマ121/セリエ153です。今回の「天使でも獣でもない」とまったく同じ一文ではなく、思想上の関連が強い別の断片として読みます。

ここにあるのは「ちょうど中間を取れば常に正しい」という便利な処世訓以上のものです。人が自分を過大評価して傲慢になることと、自分の価値を見失ってしまうこと、その両方への注意が浮かびます。

キリスト教の文脈を省くと、何が失われるか

パスカルの議論は宗教的・神学的な人間観に根ざしています。理性も弱さも持つ人間が、神や救済をどう考えるかという問いを含むため、現代の自己肯定感や完璧主義の話だけに置き換えると、原文の射程が狭くなります。

研究資料のこの断片の解説も、道徳的な格言であると同時に、その背後に神学的な基盤があると説明しています。日常への応用を読む前に、思想の背景を明示することを優先します。

一方、読者がその宗教的前提に同意しなければ言葉を読めないというわけではありません。「自分を完全な存在と考えると、どんな判断を誤るのか」という問いを取り出して考えることはできます。ただし、それは現代の読者による解釈です。

現代に引き寄せるなら、何を問い直せる?

  • 理想と人間性:高い理想を掲げるとき、失敗する人の事情や制約を無視していないか。
  • 自己認識:自分の判断だけは誤らない、と考える状態になっていないか。
  • 他者への要求:相手に不可能な清廉さや完璧さを押し付けていないか。
  • 改善の余地:弱さを認めることを、学ぶこと・変わることの放棄と取り違えていないか。

以上は本サイトによる読み方です。パスカル本人が現代の心理学や組織論として、こうした四つの問いを体系化したわけではありません。

同じ『パンセ』の別の断片とつなげる

人間の弱さと尊厳の両面については、当サイトの「人間は考える葦」も参照できます。また「正義なき力は暴政、力なき正義は無力」では、正しいものと実際の力が一致しない社会の問題を扱っています。

同じ思想家の言葉でも、別の断片をひと続きの会話にしてしまわず、それぞれの原典位置と主題を確認したうえで比較することが大切です。

まとめ――完全な天使になろうとする危うさ

「人は天使でも獣でもない」という言葉は、『パンセ』のブランシュヴィック358/ラフュマ678/セリエ557に対応する原文で確認できます。1678年版への収録という刊行史もたどれます。

人間を偉大さだけで描いても、弱さだけで描いても理解を誤る。理想を掲げることをやめるのではなく、理想を持つ自分自身も間違いうる存在であることを忘れない。そうした厳しい自己認識へ読者を導く言葉として読めるでしょう。

原典・照合資料

本記事は研究資料の原稿転写・版比較と公開テキストを確認しました。パスカルの原稿現物の実地閲覧、全ての翻訳版の比較、断片の正確な執筆日は未確認です。出典の状態の読み方も参照してください。

『パンセ』の人間観を読み広げる: 『パンセ』作品ガイドでは、人間の弱さと偉大さ、判断と信仰を別の断片と比較できます。パスカル人物ガイドでは『パンセ』の成立と他の著作をたどれます。「人は天使でも獣でもない」はブランシュヴィック358/ラフュマ678/セリエ557に対応する文章で、単に理想を捨てよという意味ではありません。原稿現物やすべての日本語訳を照合したわけではない点も、本文の出典注記に従ってください。

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