終わりのない「改善」のループに疲弊していませんか
目先の数値改善に追われる日々の中で、本来あるべき「事業の成長」と現在の業務の乖離に気づきながらも、そこから抜け出せない構造的なジレンマについて解説します。
毎日ダッシュボードを睨みつけ、LPのボタンの色や配置、キャッチコピーの微修正に明け暮れる。0.1%のCVR(コンバージョン率)向上に一喜一憂し、少しでも数字が下がれば胃が痛くなる。ひとりマーケターとして奮闘するあなたにとって、これは日常の風景かもしれません。リソースは限られ、即時の成果を求められるプレッシャーの中で、手っ取り早く結果が見える「改善」に逃げ込みたくなる心理は痛いほどわかります。
しかし、冷静に問いかけてみてください。その0.1%の改善は、果たして事業の景色を劇的に変えるものでしょうか?
多くのひとりマーケターが陥るこの状況は、個人の能力不足ではなく、「効率性(Efficiency)」と「有効性(Effectiveness)」を取り違えたまま走ってしまうマインドセットと組織構造に根本原因があります。既存のパイ(市場や流入層)の中から絞り出すことに全力を注ぐあまり、パイそのものを広げる、あるいは新しいパイを見つけるという本来のマーケティング活動が欠落してしまうのです。このセクションでは、まずその「苦しみ」の正体が、手段の目的化にあることを認識することから始めます。
「縮小均衡」を招く局所最適化のメカニズム
表面的な数値改善の裏で進行する「見えない機会損失」と、既存需要の刈り取りのみに終始することで陥るビジネスの停滞構造(縮小均衡)を明らかにします。
なぜ、私たちはこれほどまでにCVRに執着してしまうのでしょうか。それはCVRが「管理可能な変数」に見えるからです。しかし、ここに典型的な失敗パターンがあります。
よくある事例として、あるSaaS企業のマーケターの話をしましょう。彼は半年間、ABテストツールを駆使してフォームの最適化を繰り返し、CVRを1.0%から1.2%へ引き上げました。彼は称賛されましたが、翌年、競合他社が全く新しいコンセプトで市場に参入し、ターゲット顧客の関心そのものを根こそぎ奪っていきました。彼は「枯れかけた井戸」から水を汲む技術を磨いていましたが、競合は「新しい水源」を見つけていたのです。
これは「局所最適化の罠」です。既存のトラフィック(流入)を前提とした最適化は、いずれ「収穫逓減の法則」により限界を迎えます。マーケティングの構造上、CVR改善はあくまで「穴の空いたバケツを塞ぐ」行為であり、バケツに入る水の総量(市場認知や需要)を増やす行為ではありません。この構造を理解せず、分母(市場へのアプローチ)を固定したまま分子(獲得数)だけを追うことは、長期的にはビジネスを縮小均衡へと導く危険なアプローチなのです。
視座を高める思考枠組み:ファネルの「上」ではなく「外」を見る
既存の延長線上にある改善思考を捨て、非顧客層や潜在市場へと視野を広げるためのフレームワークと、問いを転換する思考法を提示します。
この状況を打破するためには、思考のフレームワークを「Demand Capture(需要の刈り取り)」から「Demand Generation(需要の創出)」へとシフトさせる必要があります。
具体的には、以下の問いかけの変化が必要です。
• Before (How): 「サイトに来た人をどうやってコンバージョンさせるか?」
• After (Who/Why): 「なぜ、まだ私たちのサービスを知らない人がいるのか? 彼らは現在どうやって課題を解決しているのか?」
ここで有効なのが、ドラッカーも提言した**「ノンカスタマー(非顧客)」への着目**です。マーケティングファネルの「上」を広げるだけでなく、ファネルの「外」にいる層へ目を向けてください。
例えば、あなたのサービスが「高機能な会計ソフト」だとします。機能比較で悩む層へのCVR改善ではなく、「そもそも会計ソフトを使わず、Excelで苦労している層」や「会計業務そのものを諦めている層」にアプローチすることで、0.1%の改善とは比較にならないインパクトを生み出せる可能性があります。市場のパイを広げるとは、競合とパイを奪い合うことではなく、これまで市場にいなかった人々を振り向かせることです。
現代のテクノロジーで「余白」を作り、創造的業務へ回帰する
AIやクラウドツールを単なる効率化の道具としてではなく、マーケターが本来取り組むべき「戦略的思考」の時間を取り戻すためのレバレッジとして活用する方法論を説きます。
「理屈はわかるが、日々の業務で手一杯だ」という声が聞こえてきそうです。ここでこそ、現代のテクノロジー(AIやクラウド)の出番です。ただし、ツールの使い道を間違えてはいけません。
AIを使って「無数のABテスト用のコピーを量産する」のは、前述した局所最適化を加速させるだけです。そうではなく、AIを「インサイトの発見」や「定型業務の圧縮」に使うべきです。
例えば、生成AIを活用して、自社の顧客になり得るがまだ接触できていないペルソナの悩み(インサイト)を深掘りしたり、カスタマージャーニー上の未開拓なタッチポイントを洗い出したりすることに知恵を使ってください。また、データの集計やレポート作成といった「作業」を徹底的に自動化し、生まれた時間を「誰に、何を届けるか」という戦略構想(Strategy)に充てること。
テクノロジーは、あなたが「0.1%の職人」から脱却し、「市場の開拓者」に戻るための時間を捻出するために存在します。ツール導入自体を目的にせず、「思考の余白」を作るためにテクノロジーを使い倒してください。
数字の奴隷から、事業の牽引者へ:失敗しないための心構え
短期的な成果へのプレッシャーと戦いながら、中長期的な市場開拓を遂行するために必要なプロフェッショナルとしてのスタンスと、組織内での振る舞い方について助言します。
市場のパイを広げる施策は、CVR改善のような即効性はなく、成果が出るまでにタイムラグがあります。ここで多くのマーケターが不安に駆られ、再び元の「最適化地獄」に戻ってしまうのが最大の失敗パターンです。
失敗しないための要諦は、「ポートフォリオ思考」を持つことです。
業務の全てを市場開拓に振る必要はありません。例えば、「工数の7割は既存のCVR維持・改善(守り)に使い、3割を全く新しい市場や訴求軸のテスト(攻め)に使う」といった具合に、リソース配分を意識的に管理してください。そして、経営層や周囲に対しては、単一のCVR指標だけでなく、「リーチ数」「指名検索数」「新規セグメントからのリード数」といった、市場の広がりを示唆する指標も合わせて報告し、期待値をコントロールすることがプロの仕事です。
数字はあなたを縛る鎖ではなく、あなたの仮説(市場の可能性)を証明するための武器です。目先の0.1%に支配されず、その数字がビジネス全体の中で持つ意味を俯瞰する視座を持ってください。
まとめ:マーケターの仕事は「整地」ではなく「開拓」にある
テクニックへの依存を脱し、未知の顧客に対して価値を届けるというマーケティング本来の使命に立ち返ることで、明日からの業務に向き合う姿勢を再定義します。
コンバージョン率の改善は重要ですが、それはあくまで「整地」された土地での収穫を最大化する行為に過ぎません。しかし、私たちマーケティング・アーキテクトに求められている本質的な役割は、荒野に道を作り、まだ見ぬ顧客という沃野を「開拓」することにあります。
0.1%の改善に固執して袋小路に入り込んだ時は、顔を上げ、モニターの枠の外にある広大な世界を想像してください。そこには、あなたのプロダクトの価値を知らずに待っている人々が必ずいます。
明日からの仕事において、最適化という「作業」に埋没するのではなく、市場を創造するという「意志」を持って取り組んでみてください。その視座の転換こそが、あなたを単なる「運用担当者」から、事業を成長させる真の「マーケター」へと進化させるはずです。