「翻訳力」こそがB2Bマーケティングの最強の武器である——複雑なSaaSを「日常の言葉」で顧客の脳内にインストールする技術

マーケティング

なぜ、あなたの熱意ある説明は顧客に届かないのか

ひとりマーケターとして日々奔走する中で、自社のプロダクトを「正しく」伝えようとすればするほど、相手の反応が鈍くなる——そんな経験はないでしょうか。それは決してあなたの勉強不足でも、製品の魅力不足でもありません。原因は、売り手と買い手の間にある「コンテキスト(文脈)の断絶」にあります。

多くのマーケターは、製品の「スペック」や「機能」を正確に伝えようとします。しかし、顧客(特に決裁者などの非技術者)は、その機能が自分たちのビジネスにどう影響するのか、直感的に理解できません。ここで必要なのは、正確な技術解説ではなく、相手の脳内にある「既知の概念」と、目の前の「未知の製品」を結びつける「翻訳」の作業です。

この翻訳作業において最強のツールとなるのが「たとえ話(アナロジー)」です。複雑なITソリューションを、誰もが経験する「料理」「恋愛」「スポーツ」といった日常の事象に変換する能力。これこそが、顧客の理解を一瞬で促し、意思決定のコストを劇的に下げる、マーケターにとっての必須スキルなのです。

「機能の羅列」から「体験の共有」へ:B2Bにおける“たとえ話”の構造的価値

「たとえ話」は単なるトークの彩りではありません。それは、形のないB2B商材に「擬似的な実体」を与え、顧客の認知コストを極限まで下げるための、極めて論理的な戦略手法です。

人間は、全く新しい概念をゼロから理解することに多大なエネルギーを要します。しかし、「すでに知っている構造」に当てはめて理解することは容易です。例えば、API連携の仕組みを技術的に説明するよりも、「レストランにおけるウェイター(厨房と客席をつなぐ注文の伝達役)」と説明した方が、その役割と価値は一瞬で伝わります。

ここで陥りがちな失敗パターンは、「専門用語を、別の専門用語で解説しようとすること」です。「このSaaSはマルチテナント型で…」を「リソースを共有する仮想化技術で…」と言い換えても、顧客の混乱は深まるばかりです。これは「翻訳」ではなく、単なる「辞書の読み上げ」に過ぎません。目指すべきは、ビジネスの構造そのものを、相手の生活空間にある物理的な構造へと転換することです。

抽象化と再構築:良質なメタファーを生み出す「3層思考フレームワーク」

優れたたとえ話は、天啓のように降りてくるものではありません。「抽象化」と「再構築」という思考プロセスを経て、意図的に設計されるものです。私はこれを3つの層で捉えています。

1. 本質の抽出(Abstraction):

その機能やサービスが提供する「本質的な価値」は何でしょうか?「データを守る」のか、「工程を省く」のか、「関係をつなぐ」のか。枝葉の機能を削ぎ落とし、コアとなる力学を抜き出します。

2. ドメインの選定(Selection):

ターゲット層が親しみのある領域(ドメイン)を選びます。

• 料理: プロセス、素材、レシピ(手順や段取りを説明するのに最適)

• 恋愛・結婚: 信頼関係、マッチング、長期的な契約(CRMやパートナーシップの説明に最適)

• スポーツ: チームワーク、ルール、コーチング(組織論やマネジメントツールの説明に最適)

3. マッピング(Mapping):

抽出した本質を、選定したドメインの構成要素に当てはめます。

よくある失敗パターンは、この「マッピング」がずれていることです。例えば、セキュリティソフト(守るもの)を「攻撃的な武器」に例えてしまうと、顧客に誤った期待値を植え付けてしまいます。精度の高いアナロジーは、顧客に「ああ、つまりこういうことですね」と言わせ、その後の説明を不要にするほどの威力を持ちます。

生成AIを「壁打ち相手」にする:現代における翻訳スキルの磨き方

かつて、たとえ話のストックはマーケター個人の人生経験の豊かさに依存していました。しかし現代では、AIという強力なパートナーを活用することで、このスキルを飛躍的に拡張できます。

AI(LLM)は、膨大なコンテキストのデータベースを持っています。ここで重要なのは、AIに答えを出させるのではなく、思考の「発散」に使いうことです。「複雑なERPの概念を、小学生でもわかるように料理に例えて」や「このセキュリティ概念を、サッカーのフォーメーションで説明して」といったプロンプトを投げることで、自分一人では思いつかないようなメタファーの種を無数に得ることができます。

ただし、注意すべき点があります。AIが出したたとえ話をそのまま使うのではなく、必ず「人間の感性」でフィルタリングすることです。「理屈は合っているが、感情的にしっくりこない(または不快な)たとえ」を排除し、相手の文化や文脈にフィットするように微調整する。この「編集者」としての視点こそが、これからのマーケターに求められる役割です。

顧客の「既知」にアンカーを打つ:マーケティング・アーキテクトが大切にしている視座

最終的に、たとえ話の質を決めるのは、テクニックではなく「顧客への深い共感」です。

私がプロジェクトを指揮する際、最も重視するのは「相手が普段、どのような世界で生きているか」を想像することです。例えば、数字に厳しいCFOに対して「情熱的な恋愛」のたとえ話をしても響きません。彼らには「投資とリターンの確実性」や「ダムの治水能力」のような、堅実で構造的なメタファーが有効です。

逆に、現場の若手担当者には、最新のゲームやトレンドに関連したたとえが、強烈な親近感を生むこともあります。「たとえ話」とは、単なる説明技術ではなく、「私はあなたの住む世界を理解し、尊重しています」というメッセージそのものです。

ここで陥りがちな失敗パターンは、自分が使いやすいたとえ話(例えば、自分が詳しい野球の話など)を、相手の関心を無視して連発することです。これは「理解の押し売り」であり、かえって心の距離を広げてしまいます。常に「相手の既知」にアンカーを打つこと。これがプロフェッショナルの流儀です。

まとめ:言葉の架け橋となること、それがマーケターの矜持

ツールやトレンドがいかに進化しようとも、人と人がビジネスをする限り、「理解」と「納得」のプロセスは無くなりません。むしろ、技術が高度化する現代だからこそ、それを平易な言葉で翻訳できる人材の価値は高まっています。

「たとえ話」を磨くことは、マーケターとしての「優しさ」と「知性」を磨くことと同義です。複雑なSaaSという「未知」と、顧客の日常という「既知」の間に、言葉という架け橋をかける。その橋を渡った先で、顧客の課題が解決される瞬間を作ること。

明日からの会議やコンテンツ作成において、一度立ち止まって考えてみてください。「この機能を、もし料理に例えるなら?」。その一瞬の思考が、あなたのマーケティングを、そして顧客との関係性を、劇的に変えるはずです。あなたは単なる「製品説明係」ではありません。ビジネスの価値を届ける「翻訳家」なのです。

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました