10年間野球を続けて、大人になった今わかること

10年間の野球経験を、大人になって振り返る

小学校から高校まで、10代のほとんどを野球に使いました。毎日のように練習し、泥だらけになり、うまくいかない日も含めて白球を追い続けた10年間です。

当時は「野球が将来何の役に立つのか」など、ほとんど考えていませんでした。大人になった今振り返ると、野球そのものの技術より、長い時間を一つのことに費やした経験の方が自分に残っています。

一番残ったのは、続けることへの抵抗感が小さくなったこと

野球は、昨日できなかったことが今日突然できるようになる世界ではありません。素振り、キャッチボール、守備練習。地味な反復を続けても、試合では簡単に失敗します。

それでも続ける。この感覚は、社会人になってからの学習や仕事、文章を書くことにもつながっています。「すぐ成果が出ない=向いていない」と判断しにくくなったのは、野球を長く続けた影響だと思います。

チームの中では、自分だけ良くても勝てない

野球では、全員が同じ役割をするわけではありません。打つ人、守る人、走る人、声を出す人。それぞれの得意不得意があり、その組み合わせでチームが動きます。

高校時代、私は一塁手でした。自分のプレーだけで完結せず、他の内野手から送られてくるボールを受けて初めてアウトになるポジションです。仕事でも、一人の能力より「違う役割の人とどうつながるか」が成果を左右します。この感覚には野球との共通点があります。

失敗を人前で引き受ける経験

エラーをすれば観客にも仲間にも分かります。チャンスで凡退すれば、その場で結果が出ます。言い訳のできない失敗を何度も経験しました。

もちろん、精神論として「失敗に耐えろ」と言いたいわけではありません。ただ、失敗しても次のプレーはやってくる。その事実を身体で覚えたことは大きかったと思います。仕事でも文章でも、失敗をゼロにしてから動こうとすると何も始まりません。

礼儀や上下関係は、すべて肯定しなくていい

野球部では、挨拶や礼儀、先輩後輩との関わりも学びました。一方で、体育会的な文化のすべてが社会で必要だとは今は思っていません。理不尽さを我慢することと、相手を尊重することは別です。

残したいのは、年齢や立場に関係なく相手への敬意を示すこと。残さなくていいのは、上下関係を理由に理不尽まで正当化すること。大人になったからこそ、当時の経験をそのように切り分けて考えられるようになりました。

野球をやれば人生に成功する、とは思わない

野球をすればコミュニケーション能力が上がる、就職に有利になる、人生で成功する。そこまで単純な話ではありません。同じ10年間でも、何を経験し、どう受け止めるかは人によって違います。

それでも私にとって、野球に費やした10年間は無駄ではありませんでした。友人ができ、体を動かし、勝ったり負けたりしながら、一つのことを長く続けました。その蓄積は、履歴書には書ききれない形で今の自分に残っています。

まとめ

大人になってから振り返ると、野球から得た最大のものは「野球でしか使えない能力」ではありませんでした。地味な反復を続けること、違う役割の人と協力すること、人前で失敗しても次へ進むこと。そうした感覚です。

何かに長く打ち込んだ経験は、その対象から離れたあとに別の意味を持つことがあります。私にとって野球は、そのことを教えてくれた10年間でした。

スポーツで得た経験を仕事や人生にどうつなげるか、という問いについては、キャリア・仕事の体験記事でも別の角度から考えています。

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