AIがもっともらしい答えを返す。検索すると、それらしい記事が並ぶ。会議では、いつの間にか前提が決まっている。
そんな時代には、「信じる力」と同じくらい確かめるために疑う力が必要です。
方法的懐疑とは何か
方法的懐疑は、ルネ・デカルトの哲学で知られる方法です。目的は、何も信じられない世界に留まることではありません。疑いうるものをいったん疑い、それでも確実だと言える足場を探すための方法でした。
つまり、疑うことが目的ではなく、確かめることが目的です。
AI時代の「疑う」は、否定ではなく検証すること
生成AIの文章は、正しい情報と誤りを同じ流暢さで書くことがあります。だから「AIだから信用しない」でも「AIだから正しい」でも足りません。
これは事実か、解釈か。一次情報はあるか。日付はいつか。分からない部分はどこか。そう分解して確かめる。
無知の知が「分からない場所を知る」ことなら、方法的懐疑は「分かったつもりの場所をもう一度点検する」ことだと考えられます。
仕事では、結論より前提を疑う
「リードが足りない」なら、本当に数が問題なのか。「もっと記事を書くべき」なら、本当に記事数がボトルネックなのか。「転職すべき」なら、変えたいのは会社なのか、役割なのか、働き方なのか。
答えを改善する前に、問いの前提を検査する。この点ではコペルニクス的転回ともつながります。
疑い続けるだけでは、何も決められない
もちろん、すべてを永久に疑っていたら行動できません。現実の意思決定には期限があり、不確実なまま決める必要があります。
だから大切なのは、疑いを「停止」の理由にすることではなく、どこまで確かめれば行動できるかを決めることです。
信じる前に、一度だけ問い直す
方法的懐疑は、疑い深い人になるための思想ではありません。
「それは本当にそうなのか」と一度問い直し、それでも残るものを足場にする。
情報が多く、答えを生成するコストが下がった時代ほど、この一手間の価値は上がると思います。
出典メモ:デカルトの方法的懐疑は『方法序説』『省察』などに関連する哲学的方法です。「何も信じるな」といった単純な懐疑主義としてではなく、確実な認識の基礎を探すための方法として扱っています。