「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきた。しかし、肝心なのは世界を変えることだ」。マルクスの有名な言葉です。行動することの重要性を示す座右の銘にもなりますが、出典を確かめると、独立した演説や完成した論文の結論ではありません。1845年に書かれた『フォイエルバッハに関するテーゼ』第11項という短い覚書の結びです。しかも、マルクスの原稿と、後年エンゲルスが編集して公刊した版には成立と伝達の距離があります。
原典は1845年の覚書、第11項
ドイツ語の原文はMarxists Internet Archive公開の『Thesen über Feuerbach』原稿系本文に確認できます。第11項は哲学者たちが世界を異なる仕方で解釈してきたことを述べたあと、世界を変えることこそ問題だと結びます。
対応する英語訳はマルクスの原稿版を底本とするテキストでも確認できます。大切なのは「哲学一般は役に立たない」という断定ではなく、それまでの唯物論やフォイエルバッハを批判する文章全体において、実際の人間の活動がどう扱われているかです。
1845年に書かれ、1888年に公刊された――誰が編集したのか
マルクスは1845年の春に、この11項からなるメモを書いたとされます。生前にこの形で独立した著作として刊行したものではありません。1888年にエンゲルスが『ルートヴィヒ・フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結』の付録として編集した版を公表しました。
引用の流通ではこの1888年版が広く使われました。原稿版と刊本の違いを説明する資料は、マルクスの原稿版が1924年に初めて公刊されたと記しています。ここでの「原文を確認」は、当時の自筆メモ画像を直接鑑定したという意味ではなく、原稿系の校訂テキストを確認したという意味です。
第1項から、すでに「実践」を問題にしている
第11項だけを読むと、「考えるな、行動せよ」という自己啓発的な解釈になりがちです。しかし第1項でマルクスは、従来の唯物論が対象や現実を観察されるものとして扱う一方で、人間の感性的な活動や実践の側面を十分に捉えなかったと批判しています。
そのため対立しているのは、単なる頭脳労働と肉体労働、研究と実務ではありません。世界を理解する立場と、その世界を作り替え得る人間の活動を一体に考えられるか、という哲学上の問題です。
第2項は「真理」を実践から問う
第2項では、人間の思考に客観的真理があるのかという問題は、観念的な理論争いだけでは決まらず、実践の中で検証されるべきだと論じます。ここには「現実を理解すること」の価値を消してしまうより、思考と実際の行為の関係を問い直す姿勢があります。
この文章を、あらゆる個人の思いつきを実行すれば真理になるという主張に置き換えてはいけません。ここでの「実践」は、社会の物質的な関係や人間の活動を考える思想的な概念です。
第3項の「教育者自身も教育されねばならない」
第3項では、人は環境や教育によって形成されるとする説明が、環境を変えるのも人間であり、教育者自身もまた教育されねばならないことを見落としていると述べます。
これは社会を変える主体が、社会から切り離された万能の改革者ではないことを示す論点です。外部から人間を管理する人と管理される人を単純に分けられない。人間自身が社会的な条件を受けながら、それを変える活動にも関わるという関係があります。
第6項では「人間の本質」は社会的関係とされる
マルクスは第6項で、抽象的な個人の内側に孤立して存在する本質という見方を批判し、人間を社会的諸関係の中に捉え直します。
これは、第11項が単独の個人向けモチベーション格言ではないことのもう一つの証拠です。目標は「自分だけが前向きに頑張れば成功する」という話ではなく、社会を形作る関係と人間の活動の問題です。
第8項「社会生活は本質的に実践的である」
第8項は社会生活が実践的であることを強調し、思想上の問題を現実の人間の実践とその理解へ戻します。第11項を読んだあとに第8項へ戻ると、「変える」ことが、事実を理解しない勢い任せの破壊ではないと分かります。
一方で、マルクスの革命論そのものには多様な評価や批判があり、社会変革をめぐる歴史的な争点が存在します。原典の意味を知ることと、その政治思想に賛同することは同じではありません。
「解釈するだけではだめ」という言葉の読み違い
第11項は解釈を無価値とする一切の学問否定ではありません。解釈が必要でも、世界を現実に変えうる実践を理論から切り離すことはできない、という対比が重要です。実際、社会をどのように変えるべきか考えるためにも、現状の理解と反証可能な分析が欠かせません。
ただし、これをマルクスが現代のプロジェクト管理や起業の方法を教えた文章として紹介するのは、歴史的な位置付けを飛び越えています。
現代に応用するなら、理解と変更の往復を考える
ここからは当サイトの考察です。たとえば社会や組織の問題を分析するとき、現状を測り、何が変わるとよいのかを定め、小さな実践を行ってから、その結果を改めて分析することには意義があります。
その際、変化を起こすこと自体を善と決めないことも重要です。誰に影響があるか、他の選択肢は何か、失敗したときにどう戻せるかを考える必要があります。これは原典をヒントにした現代的な方法であり、マルクスの第11項の逐語的な命令ではありません。
まとめ――最後の一行の前に、10項の議論がある
世界を「解釈する」だけでなく「変える」という名言は、1845年の『フォイエルバッハに関するテーゼ』第11項にあります。第1・2・3・6・8項にある実践や人間の社会的な関係への批判を踏まえると、単なる行動力のスローガンではないことが分かります。さらに、1888年のエンゲルス編集版と、後に刊行されたマルクス自身の原稿系本文を分けることで、引用を適切な史料へ戻せます。
出典・確認範囲
Karl Marx, “1. ad Feuerbach” (1845), 第1〜11項のドイツ語原稿系本文:第11項と実践に関する前の項を確認。
Marxists Internet Archive, “Theses on Feuerbach” — Marx’s original text:1845年の執筆、1888年版と1924年原稿版の出版史、英訳の異同について確認。
同、エンゲルスの編集を経た版:公刊時の文言との比較。
当サイト・『共産党宣言』「階級闘争の歴史」:マルクスとエンゲルスの別の共同著作を読む。
当サイト・出典ガイド:著者原稿と後世の編集による版の違い。
出典状態:マルクスの原稿系本文で確認済み/日本語は説明訳。公開のドイツ語校訂本文、英訳、編集版の出版史を確認。自筆原稿の現物の鑑定や全異同、日本語の定訳の成立史は対象外です。
