「これまでの全社会の歴史は、階級闘争の歴史である」。マルクスの名言として紹介される一文です。実際の出典は1848年にマルクスとエンゲルスが共同で発表した『共産党宣言』の第1章「ブルジョワとプロレタリア」です。ただし、この文章を単独のマルクスの発言として紹介したり、文字どおり人類のすべての時代で二つの階級だけが争っていたという事実命題にしたりすると、原典の性質を見失います。続く歴史上の具体例と、1888年英語版に加わったエンゲルスの注記も確認します。
出典は1848年『共産党宣言』第1章
原文に相当する英語の文章は、『Manifesto of the Communist Party』第1章の公開版にあります。英語では “The history of all hitherto existing society is the history of class struggles.” と記されます。1848年の初版はドイツ語で、ここで引用する英語は後年の版に基づくものです。
ほかにもProject Gutenberg収録版で、同じ一行と長い続き、エンゲルスによる後年の脚注を読むことができます。『共産党宣言』は二人の共著であるため、冒頭の一節を「マルクスが残した言葉」とだけ記すより、「マルクスとエンゲルスの著作にある」とするほうが正確です。
すぐ後には、支配する側と支配される側の多様な例が並ぶ
続きには、自由人と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と職人などの対立が列挙されます。著者らは、社会の歴史を一貫した一つの「同じ二階級」の争いとして語っているのではありません。時代によって異なる階層関係を例として挙げ、その中に支配と被支配の対立が存在すると論じています。
こうした歴史観は、政治思想として非常に影響力を持ちました。一方で、歴史の説明を階級関係だけに還元することには異論もあります。戦争・宗教・ジェンダー・民族・地域など、ほかの関係が社会の変化へどう関わるかも、歴史研究では検討されています。
対立の行き先は「革命的再編」だけではない
引用の次の長い一文は、階級の争いが、社会全体の革命的な作り直しか、争う階級がともに没落するか、いずれかの結末へ至ったと語ります。ここには、階級の衝突は自動的に社会の改善へ結びつくという単純な楽観論とは異なる視点も含まれています。
「階級闘争=社会を良くするエンジン」という短い解説だけでは、原文にある『共倒れ』の可能性が消えてしまいます。
著者らは産業化した社会で何が変わったと考えたか
『共産党宣言』は、近代のブルジョワ社会が封建社会の対立を消滅させたのではなく、新しい階級、新しい抑圧の条件、新しい争いの形を作り出したと説明します。そして現代ではブルジョワジーとプロレタリアートの対立が強まっていると論じます。
この説明は当時のヨーロッパの工業化、資本と賃労働の発展を背景にしています。しかし、ヨーロッパの1848年に書かれた政治的な文書であることと、あらゆる地域・時代に当てはまることが実証済みだとすることは別です。
「すべての歴史」に対する、エンゲルスの1888年の注
とくに重要なのが、1888年英語版へエンゲルスが付けた注です。冒頭の「これまでの社会の歴史」に対して、「つまり、記録された歴史のすべて」と補足しています。注記を含む公開版で、その説明を確認できます。
エンゲルスは、1840年代当時には記録のない古い社会の組織について知識が十分でなかったこと、その後に共同体的な土地所有などの研究が進んだことを述べています。原文の普遍的に見える文言へ、後年の研究を踏まえた範囲の限定を加えている点は重要です。
1848年の文章と1888年の脚注は同じ時点の知識ではない
この脚注は1848年の初版に書き込まれていた解説ではありません。後年にエンゲルスが付したものです。もとの著作がどのように読まれ、研究の進展によって何が補足されたかを示す資料として意味があります。
注記があるからといって『共産党宣言』の政治思想全体が実証されたことにはなりませんし、逆に著作の歴史的な影響がなくなるわけでもありません。1848年の共同著作、1888年の編集上の注記、現代の歴史学という三つの層を分けます。
階級を分析することと、すべてを階級だけで説明すること
所得・財産・仕事上の地位などが人の暮らしや政治的な発言力を左右することは、現代でも重要な研究対象です。マルクスとエンゲルスの文章は、そのような関係が社会変化の中心にあると問いかけます。
一方で、経済的な階級の分析だけでは扱いきれない歴史的・文化的条件もあります。したがって、すべての社会事件の理由を一つの図式に押し込めたり、異なる見方を封じたりするべきではありません。
「争い」を現代の日常の人間関係へ無理に移さない
この一行を、職場や家庭ではいつでも階級闘争が起きている、という一般的な人間関係論として扱うのは原典の飛躍です。著作は生産手段の所有、賃労働、政治的な権力と社会階層を中心に論じています。
今日の読者が企業や社会を考える際には、誰が決定権を持つか、利益や負担がどう配分されるかなどを問うことはできます。ただしこれは現代への応用であり、原文がすべての個人対立を階級闘争と定義したわけではありません。
『フォイエルバッハに関するテーゼ』との読み比べ
マルクスの別の文章には「哲学者は世界を解釈してきた。肝心なのは変えることだ」という第11テーゼがあります。『フォイエルバッハに関するテーゼ』第11項を読む記事と比べると、人間の社会的な関係と、その変化を考える問いが違った文書に現れます。
ただし『共産党宣言』は共同の政治的綱領として公表され、『テーゼ』は1845年の非公開の覚書を後世に編集して公刊したものです。目的・読者・出版経緯まで同じだと考えるべきではありません。
まとめ――「階級闘争」は歴史の読み方を提案した文章
「これまでの全社会の歴史は階級闘争の歴史」は『共産党宣言』第1章の一文で、マルクスとエンゲルスの共著にあります。続きには支配する者とされる者の歴史的な組み合わせや、闘争が共倒れに終わる可能性まで述べられています。1888年には、冒頭の「すべて」を記録された歴史に限定するエンゲルスの注記も加わりました。原典へ戻ることで、政治思想としての主張と、その主張がどこまで歴史的事実として妥当かを分けて考えられます。
原典と検証範囲
Marx and Engels, Manifesto of the Communist Party, Chapter I(Wikisource):1848年著作の英訳本文、冒頭の階級の具体例と共倒れの可能性を確認。
Project Gutenberg, Manifesto of the Communist Party:第1章と1888年英語版の脚注の補助照合。
1888年エンゲルス注記付き『Communist Manifesto』第1章:「記録された歴史」に関する限定を確認。
Marxists Internet Archive, Chapter I “Bourgeois and Proletarians”:共同著作のテキストの別版。
当サイト・『フォイエルバッハに関するテーゼ』:マルクスの別文書と比較。
当サイト・出典ステータス:共同著作と後年注記を区別するための案内。
出典状態:マルクス/エンゲルス共著の本文を確認済み/日本語は説明訳。公開英訳と1888年のエンゲルスの注記を確認しました。1848年ドイツ語初版の全異同、各時代の歴史研究との総合的な検証、現在の日本語の定訳や初出は未調査です。
