はじめに
「真の自由とは、すべてのことを己の基準でなしうることである」。モンテーニュの名言として流通するこの日本語には、『エセー』第3巻第12章に対応する真正な文章があります。
原文は「La vraie liberté, c’est de pouvoir faire toute chose sur soi.」。意味の中心は、好きな基準で何でも選べることではなく、自分自身に対して力を持つことです。
自由とは「好きにできること」なのか
現代の日本語で「自由」と聞くと、他人に邪魔されず、自分の好きなことを選べる状態を思い浮かべやすいでしょう。しかし、この一節でモンテーニュが向けている視線は外ではなく、自分自身へ向いています。
外の世界を思い通りにできても、自分の欲望や恐れ、執着に振り回されているなら、本当に自由と言えるのか。逆に、外部の条件を完全には支配できなくても、自分との付き合い方に余地があるなら、そこには別の自由がある。
この言葉は、自由を「外部への支配力」ではなく、自分自身との関係から考え直させます。
「自分の基準で何でもする」とは少し違う
流通している日本語の「己の基準でなしうる」は、自分の価値観に従って好きに選択するという意味にも読めます。しかし原文の「sur soi」は、自分自身に対して、あるいは自分自身をめぐって、という方向を持っています。
そのため、この言葉を「社会の期待を無視して自分らしく生きよう」という自己実現の標語にすると、モンテーニュの問いが単純になりすぎます。
問われているのは、他人から自由かどうかだけではありません。自分自身の情念や衝動の奴隷になっていないかという、さらに厄介な問題です。
「自分自身に属する」とつながる
この自由観は、『エセー』の別の文章ときれいにつながります。モンテーニュは「世界で最も偉大なことは、自分自身に属すること」と書き、また「他人には自分を貸し、自分自身にだけ自分を与えるべきだ」と述べています。
社会との関係を断つことが自由なのではありません。社会の中にいながら、自分の内側まで完全に外部へ明け渡さない。そして外部だけでなく、自分自身の欲望にも支配されきらない。
モンテーニュにとっての自由は、そうした自分自身との距離を保てる状態として読むことができます。
まとめ
「真の自由とは、すべてのことを己の基準でなしうることである」という日本語には、『エセー』第3巻第12章に真正な原典があります。
ただし、その核心は「自分の価値観で好きに生きること」よりも深いところにあります。
世界を思い通りにすることではなく、自分自身に対して力を持つこと。外部の支配から逃れるだけでなく、自分の内側にある欲望や恐れとの関係まで含めて自由を考える。この短い一文は、モンテーニュの「自分自身に属する」という思想を、自由という側面から表した言葉です。