はじめに
「他人に調和し、かつ己を誰にも与えてはならない」。モンテーニュの名言として流通するこの日本語には、『エセー』第3巻第10章「意志を節約することについて」に対応する真正な文章があります。
原文の核心は、より具体的です。「他人には自分を貸し、自分自身にだけ自分を与えるべきだ」。これは単なる「協調性と自己主張のバランス」ではなく、他者や社会のために働きながらも、自分の内面まで完全に外部へ明け渡さないための思想です。
「貸す」と「与える」は違う
モンテーニュは、自分を外へ引き離し、別のものへ縛りつけるような情念には力いっぱい抵抗すると書きます。そのうえで「他人には自分を貸し、自分自身にだけ自分を与えるべきだ」と続けます。
「貸す」ものは戻ってきます。しかし「与える」と、自分の所有ではなくなる。この言葉の鋭さは、他人を拒絶することではなく、社会へ関わっても、自分自身の所有権まで手放さないという区別にあります。
他人のために生きることを否定してはいない
この一節だけを切り取ると、徹底した個人主義にも見えます。しかし同じ章でモンテーニュは、公的な社会に対して必要な務めを果たすことも求めています。
他人のためにまったく生きない者は、自分のためにも十分には生きない。その一方で、他人に奉仕するために自分自身の健やかな生を放棄するのも不自然だと考えます。
つまり問題は「他人か自分か」ではありません。他人に関わりながら、自分まで失わないことです。
「自分自身に属する」とつながる
これは『エセー』の「世界で最も偉大なことは、自分自身に属すること」や、内面に自分だけの場所を持つという孤独論と強くつながります。
モンテーニュにとって自由とは、社会との関係をすべて断つことではありません。仕事、家族、友情、公的な役割を持ちながら、それらが自分の内側のすべてを占領しない状態を作ることでした。
まとめ
「他人に調和し、かつ己を誰にも与えてはならない」という流通文の核には、真正なモンテーニュの文章があります。ただし原文に近く読むなら、「他人には自分を貸し、自分自身にだけ自分を与える」です。
社会から逃げるのでも、他者を拒むのでもない。他者へ十分に関わりながら、自分自身まで外部の所有物にしない。この一節は、モンテーニュの「自分自身に属する」という思想を、最も鮮明に表す言葉の一つです。