はじめに
キルケゴールの『あれか、これか』第2部には、「自己自身を選ぶ」ことと「悔い改め」を結びつける重要な議論があります。
この考えは「ありのままの自分を選ぼう」という現代的な自己肯定に近く見えるかもしれません。しかし原典で語られる「自己を選ぶ」は、もっと重い意味を持っています。
自己を選ぶとは、自分を発明することではない
倫理的に自己を選ぶとき、人は好きな人格を自由に作るわけではありません。すでに生きてきた歴史、置かれた条件、行ってきた選択を含めて、自分自身を引き受けます。
だから「選択」は、メニューから好みの自分を選ぶことではありません。逃げずに「この自分」を自分の課題として受け取ることです。
なぜ悔い改めが出てくるのか
自分の歴史全体を引き受けようとすれば、成功や長所だけを選ぶことはできません。失敗、罪、後悔もまた自分の歴史に含まれます。
そのためキルケゴールの自己選択は「悔い改め」と結びつきます。自己を本気で選ぶことは、自分に都合のよい部分だけを肯定することではないのです。
「自分らしく生きる」より厳しい思想
現代では「自分らしさ」が、好きなことや個性を自由に表現する意味で使われます。それに対してキルケゴールの自己論では、自由には責任が伴います。
選ぶという行為によって、人は自分自身との関係を作り直す。同時に、自分の過去から逃げることもできなくなる。ここに倫理的な自己選択の厳しさがあります。
まとめ
『あれか、これか』で語られる「自己自身を選ぶ」は、軽い自己肯定ではありません。
自分の歴史も責任も含めて、自分自身を引き受ける。そのため自己選択は悔い改めと結びつきます。キルケゴールが問う「自分になる」とは、好きな自分を作ることではなく、すでに存在している自分から逃げずに生きることなのです。