はじめに
「多数の友を持つ者は、一人の友も持たない。」この言葉には、アリストテレス『ニコマコス倫理学』第9巻第10章に非常に近い原文があります。
ただし、「友達は少ない方がいい」という単純な格言ではありません。アリストテレスは、どれほど多くの人と友情を結ぶのが適切なのかを、友情の種類ごとに検討しています。
第9巻第10章の議論
アリストテレスはまず、友人は多ければ多いほどよいのか、それとも友人がいない状態と多すぎる状態の中間がよいのか、と問いを立てます。
利益のための友情では、多数の人へ互いに便宜を与え続けるのは難しい。快楽を目的とする友情も少数で足りる、と論じます。
さらに徳に基づく深い友情については、共に生活し、互いの喜びや悲しみへ親密に関わることのできる人数には限界があると考えます。
「誰の友でもない」という表現
議論の終盤には、多くの人と親密に交わる者は、誰の友でもないと思われるという趣旨の記述が実際にあります。
したがって、流通する「多数の友を持つ者は、一人の友も持たない」は、原典から完全に離れた創作ではありません。
ただし、アリストテレスは多数の知人や市民的な友好関係そのものを否定しているわけではありません。多くの人に対して善良に振る舞うことと、少数の人と深い徳の友情を結ぶことを区別しています。
量より質、だけでは足りない
この一節は「SNS時代は友達の数より質」と説明されがちです。それも現代的な連想としては分かりやすいでしょう。
しかし原典では、深い友情には共に生きることが重要だとされています。友の喜びや悲しみを共有し、互いの人格を知り、一緒に活動するには時間が必要です。
人数の問題は、単なる数字の好みではなく、友情に必要な時間と共同生活の有限性から出てきます。
現代に引き寄せて考える
人間関係の数が増えることと、親密さが増えることは同じではありません。
一方で、知人が多いこと自体を浅薄だと決めつける必要もありません。アリストテレス自身、すべての友情を一種類として扱ってはいません。
「何人友達がいるか」より、どのような関係を友情と呼んでいるのかを考える。その問いの方が原典に近いでしょう。
まとめ
「多数の友を持つ者は、一人の友も持たない」は、『ニコマコス倫理学』IX.10の議論に明確な根拠があります。
ただし主張は「友人は少ないほどよい」ではありません。利益・快楽・徳にもとづく友情を区別し、とりわけ深い友情には共に生活できる人数上の限界があると論じています。
有名な一文を原典へ戻すと、友情の「量か質か」という話から、親密な関係に必要な時間と共同性の問題へ進むことができます。
アリストテレスを人物から読む
アリストテレス人物ページでは、『形而上学』『倫理学』『政治学』など本人の著作と、古代の伝承・後世の要約を区別しながら、知識・徳・友情・政治を横断して読めます。
『ニコマコス倫理学』を作品から読む
『ニコマコス倫理学』作品ページでは、幸福・徳・習慣・友情を一つの倫理学としてつなぎ、この一節が作品全体のどこに位置するかを読めます。
原典を確認する
- Perseus Digital Library: Aristotle, Nicomachean Ethics, Book IX — 第10章で、親密な友情の人数には限界があり、多くの人と親密に交わる者は「誰の友でもない」と見なされるという議論を確認。