井村雅代「一流は道を創る」|2017年講演の原文と「道に流され」の意味

「三流の人は道を追う。二流の人は道を選ぶ。一流の人は道を創る」。アーティスティックスイミングの指導者・井村雅代の言葉として広く紹介される一節です。ところが本人の講演記録を確認すると、最初の部分は少し違います。掲載されているのは「三流は道に流され」という言葉でした。

同じような響きでも、「誰かの道を追う」と「流行に流される」では、着目する行動が違います。今回は2017年の講演を掲載した出版社の資料へ戻り、実際に何を創ろうとしたのかを読み直します。

出典は2017年の講演を収録した『致知』2018年1月号

致知出版社「人を育てる――愛があるなら叱りなさい」には、井村が『致知』愛読者の集い全国大会で話した講演の抜粋が掲載されています。掲載号は2017年12月1日発行の2018年1月号です。

井村が講演で用いた短い表現は「三流は道に流され、二流は道を選び、一流は道を創る」。その前には、三流の人は流行を追いかけ、二流の人は新しい流行を前にどちらがよいかと考える、という説明があります。

流通する「三流の人は、道を追う」という日本語は、この二つの説明を近づけた言い換えと考えられます。本人の講演から逐語的に引用するなら「道に流され」の表記を採用する必要があります。なお、今回照合したのは出版社の掲載文であり、講演当日の録音を独立に聴いたわけではありません。

なぜ「流行に流される」のが三流なのか

この言葉は、他の人に習う行為をすべて否定するものではありません。スポーツの基礎技術や安全な練習方法は先人の知識から学びます。井村がここで問題にしたのは、流行そのものが目的になり、自分たちがどの価値を生み出すのかを考えなくなることです。

大会で評価される演技や技術には、規則や採点の基準があります。だからこそ新しい表現を創るとは、制約を無視することではなく、その枠の中で見たことのない表現を試すことでもあります。

この具体的な競技の文脈を離れて「二流は選択するだけで価値がない」などと一般化すると、他人の工夫を学ぶことや、状況を慎重に見極めることまで軽く扱ってしまいます。

井村の講演での「一流」は何を目指していたか

講演では、井村自身が、他の人の真似ではないものを世界へ発信し続けたいという目標を語っています。「一流」は地位や肩書だけではなく、新たな表現を追求する仕事への姿勢として示されています。

さらに、前へ進むことで新しい景色が見え、そこからまた次の前進の可能性が見つかるという考えも述べています。完成した一つの方法に落ち着くより、試して進むことによって、まだ見えていなかった課題を発見する姿勢です。

ただし、新しいことを選べば必ず勝てるという予言ではありません。競技には結果があり、新しい試みが評価されなかったり、技術的に実現できなかったりすることもあります。

中国と英国での経験を経て日本代表へ

出版社の同じプロフィールによれば、井村は日本選手権で優勝し、日本代表のコーチとして活動した後、中国や英国で指導を経験し、2014年に日本代表ヘッドコーチへ復帰しました。

違う選手、違うチーム、違う競技環境で指導することは、従来の方法がそのまま機能するとは限らない場面に向き合うことでもあります。この経歴と講演の内容を合わせると、自分の道をつくることには、状況へ適応しながら方法を磨くという側面も見えてきます。

ただし、海外での特定の出来事がこの格言を直接生んだという資料は今回確認できていません。本人の経歴と、講演で述べた信条を区別しています。

「道を創る」は、独りで成功することではない

アーティスティックスイミングでは個人の動きだけでなく、複数の選手がタイミングを合わせ、演技全体の表現を成立させる必要があります。指導者が斬新な方針を考えても、それを選手が理解し、実践できなければ結果にはつながりません。

したがって、新たな道を創るという言葉を「周囲を無視して独断で進め」と読むのは不適切です。競技の性質から考えても、信頼、練習、協働は欠かせないでしょう。ここから先は、競技への観察に基づく本サイトの解釈です。

現代の仕事で応用するなら「目的」と「流行」を区別する

マーケティングや技術開発の現場でも、注目を集めている方法を導入すること自体が目標になってしまう場合があります。新しい手法を使う前に、誰のどんな問題を解決したいのか、以前の方法ではなぜ不足するのかを確かめたいものです。

一方、既存の方法を選ぶことが常に二流というわけではありません。安全性、費用、再現性を考えた結果、既存の方法が最適な場合もあります。新しさを目的にせず、価値を生むために必要な変化を選ぶことが重要です。

仕事や学びに活かす三つの問い

  • 流行を追う理由を説明できるか:広く知られているからではなく、目的にかなっているか。
  • 他者から何を学べるか:独創性を掲げる前に、過去の知識や技術を理解しているか。
  • 何を新しくできるか:関わる人と協力し、まだ満たされていない必要へ応えられるか。

これは井村が講演で発表した三原則ではなく、本サイトが原典の内容を現代の仕事に引き寄せて整理した問いです。

関連する井村雅代の「叱る責任」とは分けて読む

井村の指導については、「叱る裏には責任がある」を扱う関連記事もあります。そちらは選手へのフィードバックと指導者の責任がテーマです。

本記事は新たな演技や表現を追求する考え方、関連記事は選手をどう指導するかという問題に焦点を当てています。同じ人物の名言でも、すべてを「努力することが大事」という一つの教訓へまとめず、話された場面に沿って読めます。

まとめ――「道を創る」は流行の否定ではない

井村雅代の「三流は道に流され、二流は道を選び、一流は道を創る」は、2017年の講演を掲載した『致知』2018年1月号の資料で確認できます。旧記事の「道を追う」とは表現が異なるため、その違いを本文に明示しました。

講演が伝えるのは、既存の道を歩く人を見下すことではありません。自分が何を表現し、世界へ何を届けたいかを考え、他人の真似で終わらず、新しい可能性を探り続ける姿勢です。

出典・確認範囲

調査日:2026年10月19日。出版社掲載の講演抜粋を照合し、講演当日の原録音や編集前の全文は直接確認していません。現代の仕事への応用は本サイトの解釈です。

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