「青年は老人を阿呆だというが、老人も青年を阿呆だと思っている」。劇作家ジョージ・チャップマン(George Chapman)に帰される格言には、1605年に印刷された喜劇『All Fools(全員愚か者)』の本文に対応する英語があります。しかし原文は「若者はそう思うが、年長者は知っている」という非対称な言い回しです。そしてこれは、チャップマン自身が初めて発明した言葉ではなく、それより前の類似することわざにも連なっています。
本人の独白でも現代の世代間コミュニケーション講義でもなく、ある登場人物が喜劇の中で語る辛辣な台詞だと分かれば、言葉の印象は大きく変わります。
原典は1605年刊『All Fools』、ゴスタンツォの台詞
『All Fools』の第5幕終盤、ゴスタンツォ(Gostanzo)がコルネーリオ(Cornelio)に語る一節です。現在の表記で引用される英語は“Young men think old men are fools; but old men know young men are fools.”。日本語でほぼ直訳すれば「若い者は年寄りが愚かだと思う。だが年寄りは若い者が愚かだと知っている」となります。
1605年刊の四折判(quarto)の作品情報はFolger Shakespeare Libraryの初期近代演劇データベースで確認できます。19世紀以降の本文転写には台詞の話者と前後の対話が残り、本人が発した私的な名言ではなく、劇中のゴスタンツォの言葉として読めます。
幕内の場面番号は版や編集によって第5幕第1場・第2場など表記が異なることがあります。そのため、ここでは第5幕終盤、ゴスタンツォの台詞という対応関係を優先します。
前後で何が起きているのか
この場面の中心には、妻ガゼッタ(Gazetta)の浮気を疑い、離縁しようとするコルネーリオの騒動があります。ゴスタンツォは、コルネーリオの父親が妻の振る舞いに対して、正面から対決するよりも体面を保つやり方を取っていたと、皮肉を交えた昔話をしています。
そこに「若者は老人を愚かと思うが、老人は若者を愚かと知る」が差し挟まれます。つまり単純な世代差の一般論というより、若さゆえに自分の判断へ自信を持ちすぎるコルネーリオを、年長者が揶揄する台詞です。
その直後、コルネーリオは自分が本当に離婚すると思っているのかと相手を挑発し、離婚の素振りは妻の態度を抑えるためだった、と説明します。作品では登場人物たちが互いを欺き、相手より自分の方が賢いと考える喜劇的な展開が続きます。
題名は『全員愚か者』。年長者だけが正しいのか
重要なのは『All Fools』という題名そのものです。ゴスタンツォの台詞が老人に有利な断言だからといって、作者が「年寄りは常に正しい」という真理を読者へ授けたとは限りません。
この喜劇では、登場人物がそれぞれ自分の知恵に自信を持ち、他人を手玉に取ろうとします。賢いつもりの人間が自分の愚かさを露呈する構造を読むと、誰かの台詞を作品全体の最終結論に置き換える危うさが分かります。
実はチャップマン以前に似たことわざがあった
歴史的な英語のことわざを集めたM. P. Tilleyの辞典は、この対句の類似例をチャップマン以前にも記録しています。1577年のグレンジ(John Grange)、1580年のジョン・リリー(John Lyly)の文献では、若者が老人を愚かと見なし、老人は若者の愚かさを知るというほぼ同じ構造が現れます。
したがって、チャップマンの劇にこの台詞があることは確認できるが、格言の創始者までチャップマンだと断定してはいけません。すでに人々の間で知られていた表現を、劇中の人物に言わせた可能性もあります。
後世のバートレット『Familiar Quotations』などの名言集は、台詞を作品から切り離した短い名言として掲載しています。これによって作者名は残っても、人物や喜劇の場面は見えにくくなりました。
「思う」と「知る」の差を日本語でも保つ
従来の日本語「老人も青年を阿呆だと思っている」では、think と know がどちらも「思う」になっています。原文は若者の判断を推量、老人の判断を確信として描くことで、皮肉を強めています。
この差を残した訳は「若者は年長者を愚かだと思い、年長者は若者が愚かだと知っている」。ただしそれは登場人物の自信を帯びた主張であって、老人の優越を社会科学的に証明した文章ではありません。
いまの仕事や人間関係に引き寄せるなら
経験を積んだ人は過去の失敗を知っているかもしれません。一方、新しく入った人には慣習に縛られず問題を発見する力があります。年齢だけで相手の意見を正しい・間違っていると決めるのは、喜劇が笑いにしている思い込みを自分が繰り返すことにもなります。
- 「若いから分かっていない」「年上だから古い」という判断を、具体的な根拠で検討し直す。
- 過去の経験を共有するとき、相手が現在の状況に当てはめて考えられる形で説明する。
- 若い立場から異議を唱えるときも、先人の知識と失敗の記録を調べる。
- 自分が正しいと強く確信した場面ほど、相手が知っている事情を質問する。
以上は当サイトによる現代的な考察であり、チャップマンの登場人物がこうした行動リストを語ったという意味ではありません。
原典・確認資料
判定:作品の台詞として原典確認済み/日本語に文言変化あり/古い先行例あり。 『All Fools』第5幕のゴスタンツォによる発言であり、作者の個人的な独白ではありません。
- Folger Shakespeare Library:『All Fools』1605年初版本・書誌。著者、初版、当時の演劇資料。
- Poetry Explorer:『All Fools』転写本文。ゴスタンツォとコルネーリオの会話。
- Tilleyの英語ことわざ辞典:1577年・1580年と1605年の比較。先行する類似表現。
- Project Gutenberg:Bartlett『Familiar Quotations』第9版。後世の引用集での抜粋。
- シェイクスピア人物ガイド。劇中の台詞を作者本人の格言と区別する共通の読み方。
- 出典監査索引。
