はじめに|「生きてゆけないテーマを探しなさい」は誰の言葉か
「それをやらなければ、生きてゆけないテーマを探しなさい」。歴史学者・阿部謹也の名言として紹介されるこの言葉には、重要な発言者の取り違えがあります。新潮社の『阿部謹也自伝』の公式紹介では、この言葉は阿部本人が後進に贈ったものではなく、大学の恩師から阿部へ贈られた言葉として記録されています。
しかも、出版社の書誌に掲載された表現は「生きてはゆけない」で、名言として流通する「生きてゆけない」とわずかに違います。言葉を発した人、受け取った人、出版社で確認できる表現、後世の短縮形を分けて整理します。
新潮社の公式書誌は、阿部の「大学の恩師」の言葉と説明
新潮社『阿部謹也自伝』の公式紹介では、本人の人生を決めたきっかけとして、大学の恩師にかけられた一言が紹介されています。2005年5月25日発売の『阿部謹也自伝』について、恩師の言葉を胸にヨーロッパ中世史の研究へ進んだという流れが説明されています。
新潮社のページには刊行日、著者、ISBN 978-4-10-475901-9、352ページという書誌も記載されています。出版社が直接説明しているのは「阿部が受け取った言葉」であって、「阿部が自ら創作した名言」ではありません。ここを取り違えると、人生を導いた助言の意味まで変わってしまいます。
ただし、公式紹介は書籍全文を掲載したものではありません。実際にその言葉を語った大学の恩師の氏名、授業や研究相談の日時、前後の発言が同じページに具体的に示されているわけではありません。恩師を実名で推定したり、特定の日付を補ったりしないようにします。
「生きてはゆけない」と「生きてゆけない」の違い
問題の文章には、出版社が掲載する「それをやらなければ、生きてはゆけないテーマを探しなさい」という形と、名言集で広まる「それをやらなければ、生きてゆけないテーマを探しなさい」という形があります。
意味はよく似ていますが、「は」の有無は引用を一字一句確認するうえで無視できません。現在の調査で確認できる出版社の表現を、阿部が恩師から聞いた当時の音声や、自伝本文の完全な逐語記録と同一視することも避けるべきです。
新潮社のページは販促用の紹介文なので、本文中の表記が同じか、編集時に短縮されたかは書籍そのものを確認するまで未確定です。当サイトでは、名言としての流通形と、出版社の掲載形を混ぜて「唯一の原文」とは呼びません。
この言葉は、阿部謹也の研究人生とどう関係したか
『阿部謹也自伝』の公式紹介では、阿部は大学の恩師の言葉を心にとどめ、西洋中世史を研究する道を歩んだと説明されています。研究テーマは単なる就職先や試験科目ではなく、自分にとって問い続けざるを得ない問題を見つけることにつながります。
また、阿部はドイツ中世史や西洋社会史を研究し、後には日本社会の「世間」や教養の問題を論じました。こうした業績は、講談社『「教養」とは何か』の書誌にも示されています。
しかし、阿部の後年の業績を知っているからといって、この言葉を聞いた瞬間に研究テーマの全てが決まった、と本人の心理を細かく想像することはできません。出版社の紹介から言えるのは、恩師の一言が本人の研究人生に重要な影響を与えたと位置づけられていることです。
助言を受けた人の名言として流通すると何が起きるか
ある言葉を人生の指針として大切にした人は、その言葉を繰り返し語ることがあります。すると後世の紹介では、最初に語った人ではなく、よく引用した有名人の名前が前面に出る場合があります。
今回も、阿部が恩師から受け取った言葉が阿部名義で流通したと理解すると、説明がつきます。ただし、どの名言集が最初に発言者を取り違えたかは確認できていません。今ある証拠から、伝播の全経路を知っているかのようには書けません。
当サイトでは、別の「教えるとは希望を語ること」の帰属検証でも、ルイ・アラゴンの詩句を阿部自身の創作とする誤りを整理しました。本人が発した言葉と、本人が引用して大切にした言葉を区別することが、人物への理解につながります。
自分にとっての「離れられない問い」を考える
この言葉は、自分の関心が本当にどこにあるのか、何年も考え続けられる問いは何かを考えるきっかけになります。好きなことを探すのとは少し違い、放っておけない問題や、どうしても答えを知りたい疑問へ目を向ける読み方ができます。
ただし、仕事や研究のテーマを一度決めたら永久に変えてはならないという命令ではありません。人生の事情は変化し、見えてくる問いも変わります。一つの助言を絶対的な義務へ変えず、研究者の人生に作用した言葉として受け止めることができます。
これは当サイトによる現代的な応用であり、大学の恩師の正確な意図を再現したものではありません。
まとめ|言葉の作者は阿部謹也ではなく、大学の恩師
「それをやらなければ、生きてゆけないテーマを探しなさい」という言葉について、新潮社の公式書誌は、阿部謹也が大学の恩師から受け取った助言として紹介しています。したがって、阿部自身が作った格言という帰属は訂正すべきです。
ただし、本人の自伝本文における句読点や助詞、恩師の実名、最初に語られた日時は未確認です。判定は「大学の恩師の助言であることを出版社書誌で確認/逐語的な本文と話者の実名は要検証」とします。
参照資料:新潮社『阿部謹也自伝』(2005年5月25日刊)の公式書誌、講談社『「教養」とは何か』書誌。出版社の紹介文は言葉を受け取った関係の確認に有用ですが、書籍本文の画像や恩師の直接証言を今回独立に照合したわけではありません。