はじめに|「機能で全てを決めると、動物から遠ざかる」は本人の言葉か
「機能という概念で全てを決められてしまうのは、人間をどんどん動物から遠ざけている」。伊東豊雄の言葉として紹介される一節です。建物の機能を整理することがなぜ、人の身体感覚や自然との関係を損なうのか。その背景には近代建築への深い問いがあります。
ただし、この日本語の一文が伊東本人のどのインタビュー・講演・著書に逐語的に掲載されているのかは、今回の調査では特定できませんでした。主張の方向が本人の考えに似ているというだけで、名言としての原典確認はできません。
一方、東西アスファルト事業協同組合の講演録、ART iTの本人インタビュー、LIXILの監修者メッセージには、機能に人の行動を従わせることへの批判が具体的に記録されています。確認できた本人発言と、流通する短句の不確かさを分けて読み解きます。
近代建築で「機能」が担ってきた役割
建物にはさまざまな用途があります。食事をする場所、眠る場所、働く場所などを分けると、設備や管理の仕組みを整えやすくなります。こうした機能の整理は、日常を支えるために重要です。
しかし、部屋の用途を決めてしまうと、人はそこで定められた行動をするよう期待されがちです。生活のために作った分類が、いつの間にか人間の行動を制限することもあるでしょう。
伊東が監修したLIXILの「公共建築はみんなの家である」にあるメッセージは、機能によって活動を細かく分割し、それぞれを専用の空間へ振り分ける近代建築の考え方を問い直しています。機能があることと、機能だけで暮らし方を決めることは別だという視点です。
2011年の本人インタビューにある建築観
ART iTの2011年4月の伊東豊雄インタビューでは、本人が建築教育について、近代主義の仕組みではこれからの建築を考えにくくなっていると論じています。
その中で伊東は、建築の機能をまず決め、その組み合わせで考える方法より、使う人が自由に活動できる空間のあり方を重視していることを述べています。制作における理論と実践の関係についても説明しています。
しかし、記事中に今回の「動物から遠ざける」という日本語の一文は、そのまま見つかりません。本人の考え方の根拠となる取材と、流通する長文の逐語的な出典を混同しないようにします。
2015年の講演録に登場する柴犬の話
東西アスファルト事業協同組合の「明日の建築を考える」講演録では、伊東本人が、機能を分類する建築観を問い直す話の中で、一緒に暮らす柴犬の行動を紹介しています。
犬は季節や温度に応じて、気持ちよい場所を選びながら移動する。一方、人は寝る場所や食事をする場所をあらかじめ決められがちです。自然に身体が求める居場所を選ぶ自由を、建築から取り戻せないかという問題意識が読み取れます。
しかし、柴犬の話から問題の長文が一字一句導かれたとは言えません。講演で確認できるのは犬と人間の居場所の比較という本人の説明であり、冒頭の短句の最初の掲載先ではありません。
2016年の本人取材で語られた「動物的な感受性」
朝日新聞社が企画・制作した2016年の広告特集インタビューでは、伊東が都市の暮らしで自然を感じる機会が少なく、動物的な感受性が失われていくように感じると述べています。
これは、建物の機能を整えることばかりに気を取られると、身体と自然のつながりを感じにくくなるのではないかという問いと重なります。本人が実際に「動物的な感受性」という表現を使ったことを確認できる資料です。
ただし、今回の長文とは文言が違います。趣旨が似ていることは、同じ一文を本人が語ったという証拠にはならないため、出典状態の格上げには使いません。
自然の中の動物にたとえる意味
動物は日なたや日陰、風の通り方など、環境の変化に応じて居場所を選びます。伊東の講演録でも、柴犬が季節に応じて眠る場所を変える例が使われています。建築の中でも人がそうした感覚を使えるか、という問いが生まれます。
しかし、人間が動物ではなくなったという話ではありません。生物学的な分類の説明ではなく、身体が感じる暑さや寒さ、落ち着ける場所を選ぶ感覚への比喩として読むのが自然です。
また、人間が自然の中にいれば必ず健康になる、建築の機能を減らせば必ず幸福になるといった科学的結論も、この資料からは導けません。建築家の思想表現と、検証された医療・心理の効果を区別する必要があります。
公共建築では、使う人が居場所を選べるか
LIXILの監修者メッセージでは、自然の中にある明るい場所、暗い場所、広い場所、狭い場所などを例に挙げ、利用する人が活動に合う場所を選べる建築を構想しています。
その発想は、公共施設において、決められた用途以外の使い方を完全に排除しないという方向にもつながります。建物の使い方を設計者だけが決めるのではなく、利用者にも余地を残すことが大切です。
一方で、誰もが同じように自由に移動できるわけではありません。子ども、高齢者、障害のある人など、利用者ごとに必要な設備や安全対策があります。自由を増やす設計と、分かりやすさ・アクセスのしやすさを両立することが必要です。
「機能的であること」と「居心地がよいこと」は両立する
建築の効率性は、生活の役に立つことも多くあります。移動のしやすさ、明るさ、温度調整、避難経路の確保など、機能に関する考えがなければ安全で使いやすい施設にはなりません。
伊東の発言を、機能を持たせる設計をすべて否定する話として読むのは正確ではありません。機能という分類だけでは、人がその場所を好きになる理由を十分に説明できないという問題提起として理解する方がよいでしょう。
例えば、同じ図書館でも集中して読める場所、外を眺められる場所、友人と会話できる場所を用意する方法が考えられます。これは当サイトによる応用例であり、伊東が特定の設計案として提示したものではありません。
まとめ|問題意識は確認できるが、流通長文は未確認
伊東豊雄名義で紹介される「機能によって全てを決めると人間を動物から遠ざける」という一文の逐語的な原典は、今回の調査では特定できません。冒頭の流通文そのものは「要検証」とします。
一方、2011年の本人インタビュー、2015年の講演録、2016年の本人取材、2020年のLIXILのメッセージから、機能の分類によって人の自由な活動や身体感覚を狭めることへの問題意識は確認できます。
関連する「心地良さを体で表現できる建築」の検証記事と「都心の生活は自然から切り離されている」の原文確認記事も参照すると、出典が確認できた発言と未確認の短句を比較できます。
出典・今後の調査範囲
本人の講演・取材:ART iTの2011年インタビュー、東西アスファルト事業協同組合の講演録、朝日新聞社制作の2016年広告特集インタビュー。
本人の監修者メッセージ:LIXIL文化活動「公共建築はみんなの家である」。これらの資料は機能と身体感覚に関する考えを記録していますが、冒頭の日本語文の逐語一致は確認できません。
出典状態:要検証。今後は元の書籍・講演録・雑誌インタビューをさらにたどり、流通文がどの時期にどのような形で成立したかを調べます。判定は出典ステータスの読み方に従います。