「どんどん経済が成長してきたその代償に、人間は心の豊かさをだんだん失ってしまうんじゃないかと思います」。いわさきちひろが1972年に語った言葉です。経済成長を否定する言葉のように聞こえるかもしれませんが、本人はその後、若い世代に豊かさについて深く考えてほしいと続けています。
ちひろが絵本で表現したかったのは、当時の日本で失われかけていると感じた「やさしさ」や「美しさ」でした。経済成長が正しいか間違っているかという二択ではなく、経済的な豊かさと、暮らしや人へのまなざしをどう両立させるか。原文から読み取れる問いは、そこにあります。
原典は『人生手帳』1972年12月号
ちひろ美術館の公式「ちひろのことば」では、今回の文言とその続きが掲載され、出典を「『人生手帳』(文理書院)1972年12月号」と明記しています。単に名言サイトに同じ文言があるという状況ではなく、発行媒体・出版社・発行年月まで確認できます。
美術館が掲載する文章からは、本人が経済成長の代償を心配し、豊かさの意味を若者にも考えてほしいと願ったことが分かります。ただし当サイトが1972年の原誌現物を直接開いて全文照合したわけではありません。出典分類は、美術館に掲載された本文と原掲載情報を確認した範囲で「出典確認済み」とします。
「失った」と断定せず、「失ってしまうんじゃないか」と問いかけた
ここで特に重要なのは、「思います」という言い方です。経済が成長すれば必ず人の心が貧しくなる、と統計的に証明した文章ではありません。自分の暮らした社会の変化を見て、何か大切なものが薄れてはいないかと心配する一人の画家の見方です。
経済的な豊かさによって衛生や住まい、医療や教育の機会が改善することもあります。物質的な豊かさを一律に否定してしまうと、生活の条件に困っている人の現実が見えなくなるかもしれません。ちひろの問いを尊重しながら、豊かさのどの部分を守り、どの部分を見直すのかを具体的に考えたいところです。
1972年という時代をどう読むか
1972年は、日本社会が戦後の復興から高度経済成長を経てきた時期に当たります。都市や交通、家庭用品、働き方が大きく変化してきたことを背景に、便利さが増す一方で、生活の中の何が残り何が失われたのかという問いが生まれました。
ただし、この名言だけで、ちひろが特定の経済政策を批判したことや、成長の具体的な指標について論じたことまでは分かりません。歴史的な一般背景と、本人の実際の発言の範囲は分けて扱う必要があります。
ちひろが挙げた「やさしさ」と「美しさ」
原文の続きで、ちひろは自分の絵本の中で、日本から失われつつあると感じるやさしさや美しさを描こうとしていると語っています。これを子どもたちへ贈ることが生きがいだという、創作の目的まで示しています。
そのため、単に「お金より心が大切」という抽象的な格言として読むと、絵本を通して何を伝えたかったかという本人の実際の仕事が抜け落ちます。彼女にとって、この問いは生活論であると同時に、作品に何を描き、子どもへ何を残すかという職業上の問いでもありました。
子どもの本を、社会の変化と切り離さない
ちひろ美術館の2026年の企画展案内には、ちひろが絵本の中の大切なものを語った1972年の別の文章が紹介されています。絵本は子ども向けの娯楽であるだけでなく、作者が平和や人への思いを込める表現でもあり得ます。
だからといって、すべての子どもの本に同じ社会的な主張が必要なわけではありません。ちひろ本人の創作観を、そのままほかの作家や親に求めることは避けたいところです。
豊かさは、数値だけでも感情だけでも測れない
経済の成長や家庭の収入は、生活条件を理解するうえで重要な情報です。住む場所、医療、学習、休息などの機会にかかわることもあります。一方で、こうした数値だけでは、その人が誰とどのように暮らしたいかをすべて表せません。
人が何を豊かさと感じるかは、年齢や境遇によって異なります。静かな時間、信頼できる関係、好きなことへ没頭できる環境などを大切にする人もいるでしょう。数値の改善と、当事者が感じる暮らしのよさを両方確かめることはできます。
昔の暮らしを美化しないために
経済成長以前の暮らしが、今より必ず豊かだったと決めつけるのも危険です。家事や労働の負担、病気への対応、教育や移動の選択肢など、便利さが人を助けてきた面もあります。
ちひろの言葉を使って「昔の社会へ戻ればよい」と結論づけるより、現在の便利さを享受しながら、どんな関係や文化が見えにくくなっているか考える方が、本人の問いかけを生かせるでしょう。
「どろんこの子ども」とのつながり
「どろんこの子どもと絵のリアル」では、ちひろが1963年の文章で、自分の描く子どもは現実を十分に表しているのかと問いかけたことを扱っています。そこには、見るものをどう絵に残すかという画家自身の悩みがありました。
「大人になること」は、1972年に家族との関係と自分の成長を振り返った別の文章です。同じ画家が、絵の表現、家族との暮らし、社会の豊かさをそれぞれの文脈で考えていたことが分かります。
仕事と暮らしに引き寄せて考える三つの問い
以下はちひろ自身の言葉を手順化したものではなく、記事の読者に向けた当サイトの整理です。
- 便利さ:暮らしが便利になることで、確かに助かっていることは何か。
- 失われたもの:その反面、時間、つながり、自然、創作の機会などで見落としているものはないか。
- 残したいもの:自分の次の世代や、身近な人へ伝えたい価値は何か。
まとめ――何が豊かな暮らしなのか、問いを残す
いわさきちひろの「経済成長と心の豊かさ」についての言葉は、『人生手帳』(文理書院)1972年12月号に掲載されたものとして、ちひろ美術館の公式ページで確認できます。
本人は経済成長の代償を憂慮するとともに、やさしさや美しさを自分の絵本で子どもへ伝えたいと語りました。豊かさは収入だけで決まるわけでも、物質的な条件を捨てれば手に入るわけでもありません。生活をよくするものを見極めながら、何を大切にして生きるかを考える言葉として読みたいところです。
※記事中の写真はイメージ写真であり、いわさきちひろの絵画作品ではありません。

出典・確認範囲
- ちひろ美術館「ちひろのことば」:『人生手帳』(文理書院)1972年12月号という原掲載情報と、経済成長・やさしさ・絵本についての文章。
- ちひろ美術館の企画展「とても素朴なんだけれど たいせつなもの」:別の1972年の創作観を伝える資料。今回の言葉の逐語的原典とは別。
- 関連記事:どろんこの子どもと絵のリアル:1963年の表現上の問い。
- 関連記事:大人になること:1972年の生活と家族への思い。
出典状態:出典確認済み。公益財団法人いわさきちひろ記念事業団による本人の文面と、『人生手帳』(文理書院)1972年12月号という書誌情報を確認。紙の原誌を独立に校合していない。経済成長の統計的な因果関係を本人が証明したものとは解釈せず、歴史背景と現代的な考察を区別する。