植松努「指示する人がやる気を奪う場合がある」|命令しない組織の設計

「指示をする人がやる気を奪う」は何を意味するのか

「人のやる気や情熱を奪うのは、指示をする人の問題である場合が多い」。植松努の名言として流通している一文だが、この語順のまま本人がいつどこで語ったかという逐語原典はまだ特定できていない。名言集に文言があることと、発言の前後関係まで確認できることは別である。

一方、植松が命令や上下関係をどう捉えているかについては、本人の言葉が具体的に残っている。2021年の「北の教育文化フェスティバル」での対談を記録したログミーの記事によれば、植松電機では部・課・役職を置かず、従来の命令系統に頼らない運営をしていると本人が説明した。

旧記事は、部下のやる気が失われる原因は必ず上司にあるという断定へ傾いていた。けれども、仕事への意欲は体調、待遇、業務内容、家庭の事情などの影響も受ける。指示を出す人の振る舞いを見直すという問いと、意欲の低下を一人の責任に固定することは違う。

植松電機が部・課・役職をなくした理由

2021年の本人対談で植松は、ピラミッド型の組織では上の人が判断を独占しやすく、その人が機能しなくなると組織全体が弱くなるという見方を示した。指示命令を減らすのは、社員を好き勝手にさせるためだけではなく、判断する人を増やすためと考えられる。

同じ対談では、社員が物品を購入するときにも、一定の金額を超えたら相談するという目安以外は現場へ任せていると説明している。これは全くの無規則という意味ではない。どこまで現場で決めてよいかという境界を設けたうえで、決める権限を渡していることが重要だ。

植松は、役職をなくしたときに周囲の経営者から「自由にすれば組織がばらばらになる」と反対されたとも振り返る。本人は自社の発展を実例として挙げたが、それは他の業界や規模の会社で同じ仕組みが必ず成功するという実験結果ではない。個別企業の組織文化と、普遍的な管理原則を分けて読む必要がある。

指示がなくても仕事は進むのか

設計、製造、品質管理などの仕事では、役割と責任を曖昧にしたままでは問題が起こる。とくに機械の安全や品質に関わる判断には明確な確認手順が必要だ。命令系統を薄くすることは、必要なルールや責任をなくすことではない。

社員が自分で判断するためには、何を目指すのか、使える予算はいくらか、どのような品質が必要かといった情報が共有されていなければならない。仕事の目的が分からないのに決定だけ任されても、かえって負担が増えるだろう。裁量を渡すことには、判断材料を渡す責任も伴う。

この点は教育現場にも通じる。2021年の対談では、学校で大人が一方的に決める組織のあり方が議論され、工藤勇一は教員同士で意見が分かれたときに対話する重要性を説明した。権限を上から下へ移すだけでなく、異なる考えを調整する力も必要だと分かる。

やる気を守ることと、甘い管理は同じではない

相手が何かを試そうとしているとき、「どうせ無理」と根拠なく否定すれば、挑戦する機会を狭める可能性がある。植松が講演で繰り返し問題にしているのは、できない理由を先に並べて、人の意欲と学びを止めてしまうことだ。結果の予測と、相手の可能性を否定する発言を区別することが大切である。

しかし、期限を守ることや危険な作業を止めることまで、すべて意欲を奪う不適切な指示に分類するわけにはいかない。働く人の安全や顧客への責任を守るため、指示や停止命令が必要な場面もある。本人の判断を尊重することと、責任ある管理の必要性は両立する。

現代の管理職が参考にするなら、命令の回数を減らすだけでなく、部下が提案した改善案をどう検討するか、失敗を誰と振り返るかという問題がある。組織を変える具体的な工夫を持たずに、「自由にやれ」と言うだけでは責任の放棄にもなり得る。

本人の対談で確かめられる組織論

植松の企業経営の事例を知るには、ログミー「ピラミッド型の組織を変えるには?」(2021年)の本人対談が中心資料になる。組織に役職を置かないこと、社員へ判断を任せること、上下関係への考え方が具体的に説明されている。

また、ログミーの本人講演「『自分は人よりできる』は間違った自信のつけかた」では、相手に我慢を求めるだけの言葉の問題が語られる。植松電機の公式会社紹介には事業・会社の情報がある。これらの事実資料は、冒頭の名言の逐語的な初出を証明するものではない。

今回の短い引用の流通形は植松努の名言集に確認できる。関連記事の「どうせ無理は人の自信を奪う」は否定する言葉を、「より良くの追求」は改善する仕事を扱う。本記事は、意欲を支えるために誰が何を決めるべきかという組織設計を主題とする。

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