大村智「微生物は無駄な代謝物を生産しない」|代謝産物の役割と科学的な限界

「微生物は無駄な代謝物を生産しない」。大村智の名言として紹介されるこの一文は、微生物が作る物質に未知の価値を探そうとする研究姿勢を連想させます。その趣旨は、2015年のノーベル賞講演を紹介したJSTの記録で確認できます。ただし日本語の定型句は英語による講演紹介の訳に相当し、1970年代の最初の発言記録までは確認できていません。また、科学的に「微生物の作る物質には必ず何らかの有用な働きがある」と証明されたわけでもありません。名言の出典、微生物の化学、生き物同士の関係を分けて読み解きます。

「無駄な代謝物はない」という言葉の出典は?

科学技術振興機構(JST)の2017年掲載記事は、大村が2015年のノーベル賞講演で、1970年代初頭に語った言葉として、「Microorganisms do not create useless metabolites」という英語表現を紹介したと記しています。これは見出しの日本語に対応する明確な講演記録です。一方、1970年代のどの講演・論文に原文が残るかまでは、今回確認できませんでした。

ここで重要なのは、本人が語った研究上の信念と、科学的にすべての微生物で検証済みの命題を区別することです。JSTの記事は続けて、人間にとって微生物がどれほど有用になり得るか、まだ十分に分かっていないという趣旨も伝えています。本文では、この研究哲学を出発点に、代謝物の働きを実験でどう確かめるかを扱います。

そもそも「代謝物」とは何か

微生物は、栄養源を取り込み、エネルギーや細胞の材料を生み出す過程で、さまざまな化合物を合成します。こうした化合物を広く代謝物と呼びます。生命維持や増殖に直接関わるものと、環境条件に応じて作られる多様な二次代謝産物などを区別する場合がありますが、両者の境界は必ずしも単純ではありません。

二次代謝産物には、ほかの微生物の成長を妨げる抗菌性物質のように、働きが分かっているものがあります。しかし、「人に役立つ」「作り手にとって有利」「ある環境で生態学的な役割がある」は同じ意味ではありません。人間が医薬品の材料として注目する物質でも、微生物自身がその物質をなぜ作るのかは未解明の場合があります。

微生物は何のために物質を作るのか

2025年の学術総説「Microbial secondary metabolites: advancements to accelerate discovery towards application」は、微生物の二次代謝産物が微生物同士の関係や生理に関わるとともに、医療や農業に応用されてきたことを整理しています。遺伝子解析が進んだことで、まだ見つかっていない多様な化合物や機能が存在する可能性も見えてきました。

別の2025年の総説「Roles of Marine Microbial Natural Products」は、海洋微生物が作る天然物について、抗菌作用以外の生態学的な役割も研究されているものの、自然環境の中でどんな機能を担うかの知識にはまだ限界があると述べています。

例えば、ある物質が実験室では別の生物の増殖を抑えても、自然界で同じ濃度に達するとは限りません。濃度が低ければ、相手の行動や遺伝子発現を変える信号のように働く場合も検討されます。試験管の中で確認した効果と、土や水の中で本当に起きている作用を結びつけるには、別の実験が必要です。

「無駄ではない」は、科学的事実として言い切れるか

ここは区別が必要です。「ある物質の働きが分からない」と「その物質には働きがない」は違います。しかし、働きが分からない物質について、必ず重要な役割があると断定することもできません。生物は目的に向かって完璧に設計された機械ではなく、進化の歴史や環境の影響を受けています。

微生物が作るある化合物が、特定条件では生存に役立つことはあり得ます。しかし、その作用が確認されない場合や、別の代謝過程の副産物である場合も検討すべきです。名言の「無駄」という語は、科学の証明済み命題というより、見過ごされたものの価値を調べてみようとする研究上の問いとして読む方が慎重でしょう。

大村智の研究とのつながり

北里大学・大村智記念研究所の微生物応用化学研究室では、微生物の代謝産物から生物活性を示す新しい物質を探し、その化学構造や標的分子を調べる研究が紹介されています。微生物が何を作るかを見つけることと、その物質が生物にどう作用するかを検証することが、別々の重要な段階になっています。

また天然物創薬推進プロジェクトは、新しい微生物資源の開拓、化合物ライブラリーの活用、評価手法の開発、企業との共同研究などを掲げています。ここに見えるのは、「すべての物質が有用だ」と最初から決めてしまう姿勢ではなく、見落とされている可能性を探り、実験で確かめる研究です。

日常生活で読み替えるなら

この言葉から「人生には無駄な経験が一つもない」という万能の教訓を引き出すことは可能かもしれません。しかし、すべての経験が後で役立つとは限りませんし、無理な努力や過剰な負担を肯定する根拠にもなりません。

むしろ仕事や学びでは、すぐ価値が見えないアイデアや経験に対して「本当に使い道はないのか」と問い直すことが役立ちます。何に役立つと予想しているのか、どんな条件で効果が出るのか、何を調べれば否定もできるのかを整理する。可能性を尊重することと、証拠なしに成功を信じることの間には違いがあります。

まとめ:未知を尊重し、効果を確かめる

微生物が生み出す化合物は驚くほど多様で、抗菌性物質など医療に役立つ発見につながってきました。一方、物質を作る理由、自然界での働き、人間にとっての利用可能性には、まだ解明すべき問いが残されています。

「無駄な代謝物を生産しない」という一文を、自然界のすべてに目的があるという断言としてではなく、見過ごされたものを丁寧に調べるという研究への姿勢として受け止めたいところです。その際も、知らないことを知っていることのように語らない姿勢が欠かせません。

出典状態と参考資料

出典状態:文言変化・意訳。JSTの2017年記事を通じて、2015年ノーベル賞講演に対応する英語表現が確認できました。日本語の見出しはその訳に当たり、日本語で同じ文を逐語的に述べたという意味ではありません。1970年代の最初の発言記録は未特定です。また、本人の研究上の信念を生物学の無条件の定理と同一視しません。

主な資料:JST「The Story of Satoshi Omura」(2017年)(2015年ノーベル賞講演の紹介)/ノーベル賞講演資料(公式掲載)/Nature Reviews Microbiology(2025年)/Annual Review of Microbiology(2025年)/北里大学・微生物応用化学研究室/北里大学・天然物創薬推進プロジェクト。

関連:大村智「微生物の研究は始まったばかり」/「答えは自然の中にある」講演の研究哲学/出典ステータスの読み方。

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