「五里霧中」の意味と由来|『後漢書』張楷伝の「五里霧」とは

「五里霧中(ごりむちゅう)」は、何が起きているのか、どちらへ進めばよいのか分からず、判断に迷う状態を表す四字熟語です。深い霧の中で方向を見失うイメージですが、その由来は単なる悪天候の話ではありません。

『後漢書』巻36「張楷伝」には、張楷という学者が「五里霧」を作る道術を使えたという逸話があります。さらに、三里の霧を作れたという別の人物が教えを求め、後にはその人物の事件に巻き込まれて張楷が投獄されたという続きまで記録されています。故事の本文と、現代の迷いを表す意味を区別して読み解きます。

五里霧中の読み方と意味

読み方は「ごりむちゅう」。状況がよく分からず、見通しも手掛かりもなく、方針を決められないことを指します。「初めての仕事で五里霧中だった」「手掛かりがなく調査は五里霧中に陥った」などと使います。

小学館『デジタル大辞泉』は「判断がつかなくて、どうしていいか迷うこと」と説明し、『日本国語大辞典』も方向が分からなくなり手探りで進むことへ意味が移ったと記しています。辞典掲載の用例には1700年の俳諧資料や1916年の夏目漱石『明暗』があります。

日本語の意味と古い用例:コトバンク「五里霧中」。原書全体を実見して刊行年や書誌を再確定したわけではなく、用例の年代は辞典が示す情報です。

語の区切りは「五里霧」+「中」

漢字を「五里/霧中」と区切ると、五里ほど歩いて霧の中に入ったという誤解が生じます。故事の中心は、まず「五里霧」という広い範囲を覆う霧があるという点です。そこに「中」が付いて、霧の中で見通しを失う状態を表すようになりました。

漢字文化の辞典でも「五里霧」+「中」という語構成を注意事項として挙げています。漢字ペディア「五里霧中」を参照してください。

出典は『後漢書』巻36の張楷の話

『後漢書』巻36は「鄭范陳賈張列伝」で、張霸の子である張楷(ちょうかい)の伝記が収められています。学問に通じ、門弟が多く、仕官を求められても応じなかった人物として語られます。

その途中に「性好道術、能作五里霧」と記されます。道術を好み、五里の霧を作ることができたという意味です。これは当時の歴史書に記録された逸話であり、現代の科学によって人が超自然的な霧を作れたと実証された事実ではありません。

漢文電子本文:維基文庫『後漢書』巻36、張霸の子・楷の段落を直接確認。成立当時の自筆原稿を実見した意味ではありません。

なぜ「三里の霧」を作る人物が登場するのか

同じ段落では、関西の裴優(はいゆう)も三里にわたる霧を作ることができたが、張楷には及ばないと考え、教えを受けたいと望んだと続きます。張楷は会おうとしませんでした。

ここで「五里」は、単なる適当な距離ではなく、別の人物が作る「三里霧」と対比される言葉です。ただし当時の里の長さを現在のキロメートルに単純換算して、必ずその直径の霧が発生したとすることは避けます。

故事はそこで終わらない:張楷が投獄された理由

『後漢書』によれば、裴優は後に霧を使ったとされる事件に関わり、捕らえられて追及されると、張楷から術を学ぼうとしたと供述しました。そのため張楷も巻き込まれ、獄に入れられます。

張楷は獄中で経書を読んだり、『尚書』に注釈を加えたりしたと記されています。約二年の後、事件に関わった確証が得られなかったため釈放されました。

この続きは、現代語の「五里霧中」の辞書的意味に直接含まれるものではありません。しかし原典に戻ると、霧を作れる人物という奇談だけでなく、学問、仕官の拒否、疑いをかけられた経緯を含む伝記の一部だったことが分かります。

「五里夢中」と書くのは誤り

正しい表記は「五里霧中」です。「夢中」の熟語に引きずられて「五里夢中」と書いてしまうことがありますが、語源はあくまで「霧」。何かに熱中している状態ではなく、方向や状況が見えない状態を指します。

例えば「推しの作品に五里霧中」は、夢中になっていることを言いたいのなら適切ではありません。一方、「選択肢が多すぎて、どの作品から読めばよいか五里霧中だ」なら、判断の迷いという意味で使えます。

「暗中模索」とどう違うか

暗中模索(あんちゅうもさく)は、何が正しいか分からない状況でも、手掛かりを求めて試したり探ったりすることを表します。五里霧中と重なる場面はありますが、暗中模索は探す行動、五里霧中は見通しを失った状態に重心があります。

「最初は五里霧中だったが、資料を読み比べながら暗中模索した」という例文にすれば、状態と対応を分けて表現できます。ただし二つは類義語でもあり、常に厳密な境界があるわけではありません。

「右往左往」との違い

右往左往は、混乱してあちらこちらへ動くことです。五里霧中にいる人が必ず右往左往するとは限りません。慎重に立ち止まって、情報を確かめている場合もあるからです。

「事情が分からず五里霧中」と「突然の変更に右往左往」は、注目する部分が異なります。

例文:学校と仕事での使い方

  • 「資料を探しても出典が見つからず、調査は五里霧中だった」
  • 「新しい部署の目的や役割が分からず、最初は五里霧中の状態だった」
  • 「事故の原因はまだ分からず、調査担当者も五里霧中だ」
  • 「五里霧中のまま決めず、分かっている条件と未確認の条件を分けよう」

これらは編集上の作例で、実際の事故や職場について報告しているものではありません。

迷いを抜け出すために、現代ならどう考えるか

一度にすべてを理解しようとせず、分かっている事実、まだ推測にすぎないこと、次に確かめられることを分ける方法があります。

  • 確認済み:誰が何を述べ、いつ、どの資料で確かめたか
  • 未確認:出典がない推測や、まだ取得できていない情報は何か
  • 次の問い:一件調べれば選択肢を減らせる事実は何か
  • 判断の期限:いつまでに、どの程度の不確実性を残して決めるか

これは原典の張楷が教えた仕事術ではなく、現代の編集上の提案です。歴史書の奇談を、証明済みの心理学的な方法へ言い換えることはしません。

迷いと不安は同じとは限りません。「杞憂」の故事は、まだ起きていない出来事を心配する話です。「五里霧中」は、手掛かりが不足している状況そのものを表します。両方の原典を比較すると、不確実さへの向き合い方を違う角度から考えられます。

まとめ:霧の中という比喩の裏にある歴史書の奇談

「五里霧中」は、方針や見通しが立たず迷うことを表します。もとは『後漢書』に登場する張楷の「五里霧」の逸話に結びついており、記録の中には三里の霧を作る裴優と、その後の事件まで描かれています。

読みは「ごりむちゅう」、表記は「五里霧中」。単なる霧の情景だけではなく、古い伝記に書かれた元の話を知ると、言葉の来歴をより正確に理解できます。

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