「優しい妹が話すと花や宝石が現れ、意地悪な姉が話すと蛇やヒキガエルが飛び出す」。そんな不思議な仕掛けで知られるのが、シャルル・ペローの童話『仙女たち』(Les Fées)です。ところが1697年版を読むと、単に「良い子が得をして悪い子が損をする」話ではありません。同じ妖精が、妹には貧しい女性として、姉には立派な服を着た女性として現れること、妹への母の態度、王子の結婚の理由など、読後に考えたい箇所が残されています。
この記事では、1697年刊『昔話または過ぎし日の物語、教訓つき』のフランス語本文に沿って、結末まで説明します。特に誰をどう扱ったのか/口から出るものは何を表すのか/末尾の二つの教訓は何を述べるのかを、作品上の事実と編集上の解釈に分けて整理します。
『仙女たち』はペロー1697年版の第5編
原題は Les Fées。『妖精たち』などの訳題もあります。フランス国立図書館(BnF)の書誌に記録される1697年刊本『Histoires ou Contes du temps passé, avec des moralitez』の第5編で、『長靴をはいた猫』と『シンデレラ』の間に置かれています。原文の入口は1697年刊本に基づくフランス語翻刻(105〜116ページ)です。
この作品には1695年の先行写本も存在しますが、今回は1697年刊本に対応する公開翻刻を本文確認の基準にしています。写本の絵と刊行本の挿絵の違いについては、マルセイユ大学系の研究誌Utpictura18掲載論考が検討しています。この記事では1695年写本と1697年版の逐語比較を行ったとは主張しません。
あらすじ①――姉を可愛がり、妹に働かせる母
あるところに、二人の娘を持つ未亡人がいました。母は自分によく似た傲慢な姉を可愛がり、父親によく似た穏やかな妹には冷たく接します。妹は台所で食事を取らされ、休みなく働かされるほか、一日に二度、家から遠い泉へ大きな水差しで水を汲みに行かなければなりません。
はじめから平等な条件で試された姉妹ではありません。妹は家の中で不当に扱われ、姉は母のえこひいきの中に置かれているという前提があります。物語は妹の礼儀を評価しますが、その礼儀は恵まれた暮らしから生まれたものとしては描かれていません。
あらすじ②――泉で貧しい女性に水を差し出す妹
ある日、妹が泉へ水を汲みに行くと、貧しそうな女性が水を飲ませてほしいと頼みます。妹は水差しを洗って澄んだ水を汲み、相手が飲みやすいように容器を支えながら差し出しました。女性の正体は、村の貧しい女性に姿を変え、人への礼儀を試していた妖精でした。
妖精は妹に、話すたびに花や宝石が口から出る贈り物を与えます。帰宅が遅いと母に叱られた妹が謝ると、口からバラ、真珠、ダイヤモンドがこぼれ出しました。言葉を発する行為が、目に見える価値を生むという仕掛けの始まりです。
あらすじ③――宝石を見るまで母は妹を「娘」と呼ばない
妹が事情を説明すると、母は彼女の口から宝石が出ることに驚きます。語り手はこのとき、母が初めて妹を「娘」と呼んだとわざわざ記しています。母がすぐに姉を同じ泉へ行かせようとするのは、妹が幸せになったことを喜んだからというより、同じ贈り物を可愛がっている姉にも手に入れさせたいからです。
この短い挿話は単なる魔法の説明ではありません。娘の価値を、本人の振る舞いではなく宝石という利益が現れてから認める母の姿に、物語の辛辣さがあります。妹の言葉が美しいから価値があるのか、それとも宝石になるから価値を認められたのか。読者はそこで一度迷うことになります。
あらすじ④――姉が会うのは、着飾った女性
姉は水汲みを嫌がりながらも、母に言われて泉へ行きます。持っていくのは家で一番立派な銀の水入れです。そこへ現れたのは、妹が出会ったような貧しい女性ではなく、豪華な服を着た貴婦人でした。実は同じ妖精が別の姿に変わっていたのです。
貴婦人が水を飲ませてほしいと頼むと、姉はここへ水を飲ませに来たのではないと無礼に答えます。妖精は怒鳴り返さず、姉に対して、話すたびに蛇やヒキガエルが口から出るよう告げました。帰宅した姉の口から、毒蛇とヒキガエルが出てきます。
なぜ妖精は、姉妹の前で違う姿になったのか
重要なのは、妖精が二人をまったく同じ条件で試したわけではない点です。妹の相手は貧しい女性、姉の相手は身分が高そうな女性でした。相手の服装や地位が違っても、人をどう扱うかという問いが生まれます。少なくとも姉は、身なりのよい女性に対しても丁寧な態度を取れませんでした。
もっとも、これを現代の心理学実験のように読み、「二人の性格の原因が証明された」と述べることはできません。妖精の姿を変えるのは物語上の装置であり、単なる見かけの違い以上の意味があるとしても、その解釈は本文から導く読みの一つです。
あらすじ⑤――母の怒りで逃げた妹を王子が見つける
姉の口から蛇とヒキガエルが出てきたのを見て、母は妹のせいにします。母が妹を打とうとすると、妹は家を逃げ出し、近くの森へ身を隠しました。そこへ狩りから戻った王子が通りかかり、なぜ泣いているのかと尋ねます。妹が事情を語るたびに、宝石が口から落ちました。
王子は彼女を好きになりますが、原文には、この贈り物がほかの結婚相手の持参金にも勝ると考える場面もあります。やさしい心だけが評価されたと説明すると、王子の判断にある経済的な側面を消してしまいます。王子は彼女を宮殿へ連れ帰り、結婚します。
姉の結末――蛇に殺されるのではなく、森で一人死ぬ
姉の方はますます周囲から嫌われ、ついには可愛がっていた母親からも家を追い出されます。誰も受け入れてくれないままさまよい、最後は森の片隅で亡くなります。姉が自分の口から出た蛇に噛まれて死ぬのではありません。1697年版が描くのは、他者から拒まれていく孤立した最期です。
妹と姉を、単なる「成功する善人と失敗する悪人」に置き換えるだけでは、母が家族の中で不公平を生んだことや、王子が贈り物の経済価値を重視したことが見えなくなります。寓話的な対比の明快さと、筋書きの細部に残る居心地の悪さの両方が、この話を読み続ける理由になります。
宝石・花と蛇・ヒキガエルは何の比喩か
口から出るものは、言葉を目に見えるものへ変える魔法です。妹の丁寧な言葉から宝石や花が、姉の無礼な言葉から蛇やヒキガエルが生まれます。言葉が周囲へ与える価値や不快さを、目で分かる形にしたと読むことはできます。
ただし、現実には丁寧に話す人が必ず富むわけではなく、粗暴な人が必ず罰を受けるわけでもありません。宝石の贈り物を「親切は必ず金になる」という成功法則と取り違えると、物語の象徴を現実の因果関係に変えてしまいます。
原作の末尾には「教訓」が二つある
1697年版の本文は、姉が森で亡くなるところで終わるだけではありません。末尾にMoralité と Autre Moralité という二つの教訓詩が続きます。最初は、ダイヤモンドや金銭も人に大きな影響を与えるが、やさしい言葉にはそれ以上の価値があるという趣旨です。
もう一つは、丁寧な振る舞いには気配りや手間が必要だが、思いがけない時に報われることがあるという趣旨です。どちらも口から出る宝石そのものよりも、言葉や礼儀を高く位置づける方向です。それでも物語中では、宝石の価値を見た母や王子の反応が強調されています。そのズレをすべて矛盾として消すのでなく、物語が人間の振る舞いを少し皮肉っぽく描いている点にも注目できます。
「やさしい言葉」が持つ力を、現代ではどう読むか
人と話すとき、相手が誰かによって態度を変えていないか。疲れているときでも、短い頼みごとへの応じ方に気を配れているか。『仙女たち』は、そうした小さな問いを生む物語です。妹は相手の素性を知らないまま、飲みやすいように水差しを支えました。形式だけの礼儀ではなく、相手に実際の助けが届くよう工夫したことが印象に残ります。
他方、親切を実践するときに、害のある関係や不当な労働を我慢し続ける必要はありません。妹は物語の中で母からの不当な扱いを受け、危険を感じて逃げています。礼儀の価値を説くことと、家庭の中の不公平を容認することは別です。
アンデルセンやグリム、同じペロー作品と読み比べる
同じペロー童話集の『シンデレラ』でも、親切な娘、母・姉妹との不均衡、超自然的な助けが登場します。ただし物語の仕組みや結末は同じではありません。『青ひげ』では、妻の選択と脅迫の責任を分けて考えることで、単なる教訓への要約が危険になる例を読めます。
アンデルセンの『みにくいアヒルの子』は、望まずに周囲から拒絶される孤立を扱います。グリムの『星の銀貨』は、困っている人へ持ち物を与えた少女を描きます。善い行いと報いの構図は似ていても、物語の出典・語り手・版・結末は別物です。
ペロー1697年刊の8編を収録順に読みたい場合は、ペロー童話1697年版・原典と異版ガイドへ。作者や作品集から比較するには童話・寓話から考えるへ進めます。
出典・調査範囲
Charles Perrault, “Les Fées”, 1697年刊本に対応するフランス語翻刻(pp.105–116)。二人の娘、妖精の変装、母の態度、妹と姉の結末、二つの教訓を本文から確認しました。
フランス国立図書館(BnF):1697年刊本『Histoires ou Contes du temps passé』の書誌。刊行年、出版者、収録順の確認に使用しました。
Andrea Fanton, 「Les Fées の挿絵における時間と空間」(Utpictura18, 2024)。1695年写本、1697年版などの挿絵の関係を扱う研究です。ここでは作品の異版資料として紹介し、挿絵の細かな異同を新たに実見・独自検証したものとは扱いません。
確認上の留保:この記事は1697年版に対応する公開フランス語翻刻を根拠にした独自の日本語要約・解釈です。現物初版の全ページの校合、1695年写本との逐語比較、後世の日本語訳や他地域の類話の網羅的調査は未実施です。作品の教訓と現代生活に当てはめた読みは区別して紹介しました。