はじめに――大きな夢がなくても前へ進める
将来の目標を聞かれて、すぐに答えが思い浮かばない人もいます。「10年後にはこうなりたい」という明確な夢がないと、努力する理由さえないように感じるかもしれません。音楽家でコメディアンのティム・ミンチンは2013年、西オーストラリア大学の卒業式で、小さな目標に集中することを勧めました。
大学が記録した短い英語の言葉は「Be micro-ambitious」です。ここでは「小さな範囲で意欲的になろう」と説明します。大きな将来像の有無を競うのではなく、今ある仕事や学びに誇りを持って取り組むという趣旨です。
原典は母校の西オーストラリア大学が2013年9月に開催した式典の記録と、同大学公式チャンネルの映像です。大学の副学長は同年10月に演説を九つの人生訓として紹介しました。誰かが作った自己啓発の格言ではなく、本人が卒業生へ実際に語った内容を確認できます。
「マイクロな野心」は野心の放棄ではない
「小さな目標」と聞くと、向上心を持たないことのようにも思えます。しかしミンチンの説明は逆です。目の前にある仕事へ力を注ぎ、誇りを持って取り組めば、思いがけない機会が生まれることもあるという考えでした。到達点の大きさではなく、今日の取り組み方に意欲を向けるのです。
遠い目標だけを頼りにしていると、計画が変わったときに自分がどこへ進めばよいのか分からなくなる場合があります。反対に、今学んでいることを深めれば、興味のある分野が広がり、次に挑戦したいことが見えてくるかもしれません。行動の積み重ねが新しい目標をつくることもあるという視点です。
もちろん、資格取得や研究のように長期計画が必要な仕事もあります。大きな目標がある人は、そこへ向けて小さな行動を設計できます。長期計画と目の前の仕事を対立させず、両者のつながりを意識することが実践的でしょう。
幸せを直接追いかけすぎないという助言
同じ卒業式でミンチンは、幸福そのものを探し続けることへの疑問も語りました。大学の要約では、自分のことを考え続けるより、忙しく活動し、ほかの誰かを幸せにしようとすることで、結果として満足を得る場合があると説明しています。幸福を否定したのではなく、幸福を手に入れるために幸福だけを見張る態度を問い直したのです。
ただし、人を助けていれば必ず幸せになれるという保証ではありません。疲れ切っている人には休息が必要ですし、周囲の要求をすべて引き受ければよいわけでもありません。自分自身の健康や限界を守ることと、人のために行動することを両立させる必要があります。
勉強や仕事をしている間、自分の幸福度を何度も点数にしなくてもよいかもしれません。目の前の活動に集中し、人との関係を丁寧に育てる中で、あとから充実感に気づくこともあります。幸福を追いかけることが苦しくなったとき、視線を少し外へ向けるという提案として読めます。
自分の意見に厳しく、人には敬意を持つ
ミンチンの助言には、意見を厳しく検討することも含まれています。自分の偏見や思い込み、恵まれた条件に気づく努力をしようとする考えです。自分の考えを大切にすることと、自分の考えを絶対視することは違います。
例えば、仕事でうまくいった方法があっても、別の人や組織に同じ方法が通用するとは限りません。成功の背景には運や協力者、本人が選べなかった条件もあります。自分の成功をすべて自分の手柄にせず、他人の失敗も単純に能力不足と決めつけない姿勢が求められます。
さらに大学の公式要約では、自分より権限の少ない人を尊重することも一つの教訓として挙げられました。立場が弱い相手への振る舞いは、自分の価値観が最も表れやすい場面でもあります。意見への厳しさと人への敬意を同時に持つという点が、演説の奥行きです。
日常で「小さな野心」を育てる方法
まずは今週取り組むことの中から、一つだけ改善したい対象を選んでみます。文章を一段落だけ分かりやすくする、学んだ内容を誰かへ説明する、仕事の準備を丁寧にする。人に見せる成果の大小より、自分が改善できる部分へ注意を向けるのが出発点です。
行動したら、できたことと分からなかったことを確かめます。小さな目標なら、試した結果を次の選択へ反映しやすくなります。今日の作業を一度きりの義務と考えず、次に学ぶための実験にするという工夫です。
日々の過程を大切にするという点ではケイティ・レデッキーが表彰台より練習の過程を語った演説が参考になります。実際に動く重要性はションダ・ライムズの「夢見る人より行動する人に」とも共通します。ただしミンチンの特徴は、行動の規模をむやみに大きくしなくてよいと強調した点にあります。
まとめ――遠くの夢と、今日の仕事をつなぐ
ティム・ミンチンの2013年卒業式演説は、人生に大きな夢がなければならないというプレッシャーを和らげてくれます。今の仕事や関心に意欲的に取り組むうちに、新しい機会が見つかることもあるという考え方です。
目標が小さいからといって、取り組みまで小さくする必要はありません。目の前の仕事へ集中し、人に学びを分け、自分の思い込みを見直す。将来を完全に予測するより、今日できることの質を高めるという実践が役立つはずです。
出典は西オーストラリア大学公式「Nine life lessons from a graduate」、同大学の2013年9月式典記録、大学公式YouTube映像です。原文の短い表現を除き、大学の説明をもとに独自の日本語解説として執筆しました。