はじめに――誰にも席を用意してもらえないとき
一生懸命準備しても、自分が参加したい仕事の場に入れないことがあります。そのとき努力を続けるだけでなく、仕事の仕組み自体を変えるという選択はできるのでしょうか。歌手ビヨンセは2020年のオンライン卒業式「Dear Class of 2020」で、与えられた席を待たずに自分の活動の場をつくった経験を話しました。
本人が使った短い表現は「build my own table」です。ここでは「自分のテーブルをつくる」と説明します。自分だけが成功する場所を確保する話ではなく、従来の仕組みから排除されてきた人々も招く場所をつくろうとした点に特徴があります。
このスピーチは2020年6月7日にYouTubeのオンライン卒業イベントで公開されました。卒業生たちは新型コロナウイルスの世界的流行と米国の人種差別をめぐる抗議が重なった時期にありました。当時の社会状況と本人の事業経験を切り離さず、言葉の意味を考えます。
エンターテインメントの仕事を自分で決めたかった
ビヨンセは演説で、芸能界には女性の経営者や制作責任者のロールモデルが少なかったと振り返りました。歌うだけでなく、映像の監督やツアーの制作、レーベルやマネジメントの運営に自ら関わりたいと考えたのです。表舞台に立つ人が、作品をつくる過程や事業の意思決定にも関わろうとした経験です。
この話で重要なのは、成功した歌手なら誰でも会社を起こすべきだという結論ではありません。本人にとっては、自分の表現やキャリアを他人の判断だけに委ねないための方法でした。自分にとって何を決められることが大切なのかを明確にするという教訓が読み取れます。
また、起業をすれば自動的に独立や公平さが実現するわけでもありません。法的な契約、資金、働く人の環境など考えることは多くあります。意思決定の権限を持つことと、その権限を適切に使う責任はセットなのです。
テーブルをつくった後に誰を招くのか
演説でビヨンセは、自分のために場をつくった後、優秀なのに機会を得にくかった人材を迎え入れたことを語りました。女性や社会的に見過ごされがちだった人々の能力を、仕事の場で生かしたかったという説明です。自分が招かれなかった経験を、次の人も参加しやすい仕組みへ変えるという考え方です。
ただし、本人の語った採用経験だけで、事業のあらゆる場面で公平さが実現していると証明したわけではありません。採用や昇進の実態を検討するには、別の資料や当事者の視点も必要です。受賞演説の理念と、実際の組織運営の成果を区別して考えることが重要です。
仕事の場では、自分が発言しやすくなったら、まだ意見を言えない人へ話す機会をつくることもできます。会議の司会を交代する、応募条件を分かりやすくする、といった小さな工夫も考えられます。新しい席を独り占めせず、参加できる人を増やすことに、この比喩のもう一つの意味があります。
比べることより、自分の可能性を確かめる
演説では、批判や拒絶にどう向き合うかも語られました。ビヨンセは自身のグラミー賞の受賞歴に触れ、獲得できなかった回数も多かったと説明しています。勝った瞬間だけでなく、選ばれなかった経験も続ける過程に含まれているという話です。
数字については注意が必要です。演説で述べた受賞回数や候補から外れた回数は、2020年当時の本人の説明です。その後の記録を示す最新の数字ではありません。過去の演説に出てくる数値を、現在の受賞実績として流用しないようにします。
他人と比較し続けると、自分の仕事が誰へ何を届けたのか分からなくなることがあります。一方、現実の評価をまったく無視するわけにもいきません。自分の目標を確かめながら、必要な反応や批評を取り入れるという両立が大切です。
自分の場所をつくるための現実的な一歩
まずは、自分が参加したい活動で何が障害になっているかを具体的に調べます。技術が不足しているのか、情報が届かないのか、参加資格が不明瞭なのか。それぞれで取るべき行動は違います。「自分に能力がない」と決めつける前に、課題を分けて確かめることが出発点です。
自分で新しい活動を始める場合も、小さく試してみます。個人制作を公開する、少人数で企画を立ち上げる、既存の団体と協働するなど、費用とリスクを抑えられる方法があります。大きな会社をつくらなくても、自分の力が届く範囲に新しい場をつくることは可能です。
物語を誰が語るかという観点ではリン=マニュエル・ミランダの2016年卒業式演説、人材の機会を具体的な仕組みにする視点ではフランシス・マクドーマンドの「インクルージョン・ライダー」も関連します。表現の自由と、仕事に参加できる条件の両面から考えられます。
まとめ――自分の席だけで終わらせない
ビヨンセの2020年演説は、すべての人が独立して起業すべきだという呼びかけではありません。自分が十分に活躍できる場所がないと感じたら、参加の仕組みを変える可能性も考えようという経験談です。
同時に、その場を誰のためにつくるのかという問いが残ります。自分が機会を得たあと、同じように困っている人を迎え入れられるかどうか。個人の挑戦を他者の選択肢へつなげることに、言葉の深さがあります。
出典はビヨンセ本人の公式YouTubeチャンネルが公開した2020年卒業式スピーチ映像と所属レーベルの日本語による講演紹介です。日本語の既存訳は転載せず、短い原語表現を示したうえで独自に解説しました。