原作を「なぞるだけではいけない」という言葉
俳優の岸井ゆきのは、愛読してきた小説を映画化する際の役づくりについて「なぞるだけではいけないって思ったんです」と語った。原作への深い愛着があるからこそ、その文章をそのまま映像へ移すだけでは作品として成立しないと考えた一節である。
好きな小説を何度も読んでいると、登場人物の声や表情を自分なりに想像する。しかし映画では、その人物が俳優の身体を通して動き、声を出す。読書の中で育てた印象と、スクリーン上に新しく生まれる人物は必ずしも同じではない。
「なぞらない」という言葉を、原作を尊重する必要がないという意味に変えるべきではない。岸井は原作が大好きだったからこそ、映像化で何が必要かを悩んだと話している。大切な作品に向き合うほど、表面の再現では足りないと考える場合があるのだろう。
ただし原作を映像へどう変えるべきかは作品によって異なる。文章の再現を大切にする方法もあれば、新しい表現を選ぶ方法もある。岸井自身が演じた一つの映画での判断として読み、あらゆる映画化の唯一の答えにしないようにしたい。
原典|2026年11月1日の東京国際映画祭舞台あいさつ
原典はシネマトゥデイ「岸井ゆきの、愛読小説映画化に想い『なぞるだけではいけない』」である。2026年11月1日公開、東京国際映画祭での舞台あいさつを取材した名鹿祥史の記事に、本人の発言が掲載されている。話者、取材日時、会場と引用箇所を直接特定できる。
映画『すべて真夜中の恋人たち』の制作について、岸井は原作を一度だけでなく何度も読んでいたと振り返る。そのため頭の中にはさまざまな主人公像が存在していたという。親しんでいることが必ずしも役づくりを簡単にするわけではないという状況が分かる。
本人は監督と相談しながら、新しい人物像を立ち上げるまでが大変だったとも語った。原作を読む個人的な経験と、映画を作るために誰かと解釈を共有する仕事を結び付ける必要があった。
これは本人が現地で語った制作経験であり、原作者がすべての演技の選択を承認したと示す資料ではない。俳優の見解と原作者の見解、実際の作品への評価を分けて扱うことが、出典を尊重する基本となる。
知りすぎている人物を一度見直す
読者として何度も親しんだ登場人物には、自分の記憶や感情が重なっている。その印象が強すぎると、撮影現場で別の表現を選ぶことが難しくなる場合もある。知っているつもりの対象へ新たな目で向き合うため、一度考えを整理し直すという行動に意味がある。
岸井は台本を読んで、自分の内側にさまざまな人物像が詰まっていると気づいたという。記憶の中の人物と、今回の映画で表現したい人物の間には違いがある。自分が何をすでに知っているかを確認することが、違う表現を選ぶ準備になると考えられる。
しかし以前の読書体験を完全に忘れることはできないし、その必要もない。大切なのは、その印象が新しい仕事の可能性を狭めていないかを確かめることだ。過去の解釈を否定するのではなく、別の見方を並べられる余地を持つことが重要になる。
映像で生まれる人物は、脚本や演出だけでなく、俳優の声、身体、撮影方法など多くの要素の組み合わせから立ち上がる。一人の頭にあるイメージを守り抜くことより、仲間と作品として成立する形を探す難しさがある。
監督との対話が役をどう変えるか
岸井は監督と相談を重ねた過程を語っている。台本の読み方に迷いがあれば、自分の疑問を伝え、別の解釈を聞くことができる。役の人物を理解するために、自分一人では届かなかった視点を借りることも演技の仕事の一部だ。
一方で、監督が示したことを無条件に受け入れるだけでは、俳優がその人物を生き生きと表現するのは難しいかもしれない。自分の納得と、作品を共に作る人の意図をすり合わせる過程が必要になる。
話し合ったからといって全てが簡単に解決するわけではない。撮影の時間や他の登場人物との関係によって、選べる表現にも制約がある。限られた条件の中で、何を優先するか決める判断にも創造性があると考えられる。
こうした協働を理想化し、仕事上の違いが一切なくなると考えるのも適切ではない。異なる意見があっても互いに説明し、作品を作るための判断を重ねることが、対話の実質的な価値になる。
愛着を持つことと、新しく表現すること
岸井の言葉からは、好きなものを大切にすることと、そこへ新しい表現を加えることが両立すると分かる。原作への敬意を保つために、むしろ同じものをただ再現するのでは足りないと感じる場合がある。
尾上松也「悩むこと自体を楽しむ」は、難しい表現を探す仕事そのものに意味を見いだす。役づくりの迷いと、その迷いを創作として受け止める姿勢を読み比べられる。
小島秀夫「作っている過程が、本当のものづくりになっている時もあるので」では、完成へ向かう過程の発見を扱う。知っている作品を改めて作るときにも、試しながら新しい形を見つける余地がある点でつながる。
「なぞるだけではいけない」は、原作を捨てるという強い宣言ではない。長く愛してきた作品に向き合った俳優が、映画という別の表現に必要な責任を考えた一節として残る。