仕事を断れなかったのは、責任感だけが理由ではなかった

私は、仕事を断るのが苦手です。

以前は、それを責任感の強さだと思いたかった。

頼られたら応えたい。困っている人がいたら助けたい。せっかく自分に声をかけてもらったのだから、期待を裏切りたくない。

もちろん、それも嘘ではありません。

でも、もう少し格好の悪い理由もありました。

「できる人だと思われたい」という気持ちです。

頼られることが、自分の価値の証明になっていた

仕事を頼まれると、必要とされているように感じます。

「これもできます」「それもやります」と引き受けると、自分が有能になったような感覚もありました。

だから、仕事が増えることを嫌がりながら、どこかでは喜んでいたのだと思います。

そして抱え込みます。

余裕がなくなり、苦しくなり、それでも断れず、最後には「全部できる人」ではなかったことが露呈する。

有能に見せようとして引き受けた結果、むしろ自分の仕事を難しくしていました。

できることが増えるほど、楽になるとは限らない

たくさん引き受ければ、経験は増えます。

実際、それによって覚えた仕事もあります。窮地に追い込まれたから身についた力も、おそらくあります。

問題は、一度できるようになると、次はさらに多く引き受けてしまうことでした。

昨日より仕事ができるようになったのに、昨日より余裕がない。

能力を増やすことだけでは、楽にはなれませんでした。

「断る」は、能力の否定ではない

仕事を断ると、「できない人だと思われるのではないか」という怖さがあります。

でも、引き受けられる仕事量には限界があります。時間も集中力も有限です。

「できるか」と「今やるべきか」は別の問いです。

できる仕事でも、優先順位によっては断る。期限を調整する。別の人に頼む。やらないと決める。

それは能力不足ではなく、仕事を管理することでもあります。

自分の価値を、忙しさで確認しない

忙しいと、「自分は必要とされている」と感じやすくなります。

予定が埋まっていること。相談が集まること。難しい仕事を任されること。それらは嬉しいものです。

ただ、それが自分の価値を確認する唯一の方法になると、暇になることが怖くなります。

そして、自分からまた仕事を増やしてしまう。

今も、この癖が完全になくなったわけではありません。

だからこそ、「これは本当に必要な仕事なのか。それとも、必要とされたい自分が引き受けようとしているだけなのか」と、ときどき考えるようにしています。

何でもできる人より、何をしないか決められる人へ

以前の私は、できることを増やせば強くなれると思っていました。

今は、それと同じくらい「何をしないか」を決める力が必要だと思っています。

全部引き受けるのではなく、本当に自分が力を使うべき場所を選ぶ。

誰かに有能だと思われるためではなく、良い仕事をするために仕事を選ぶ。

まだ練習中です。

でも、仕事を断れなかった理由を「責任感」というきれいな言葉だけで説明しなくなったことは、自分にとって一つの変化でした。

トップへ戻る
タイトルとURLをコピーしました