はじめに
「わたしは不幸にも知っている。時には嘘に依る外は語られぬ真実もあることを」。この文章は芥川龍之介『侏儒の言葉』に確認できます。
一見すると、「目的のためなら嘘も許される」という意味にも読めます。しかし、ここでの焦点は倫理的な嘘の正当化より、言葉が現実をどう表現するかという問題に近いものです。
事実をそのまま並べても、真実になるとは限らない
文学は、実際に起きた事実だけを書くものではありません。
架空の人物、作り話、比喩、誇張を使いながら、現実の感情や社会の構造をかえって鮮明に見せることがあります。
『河童』のような風刺小説も、河童の国という「嘘」を作ることで、人間社会について別の角度から語ります。
「虚構」と「虚偽」は同じではない
この言葉を読むとき、他人を欺いて利益を得る虚偽と、文学的な虚構を区別する必要があります。
小説が事実ではないからといって、その中で描かれる人間の恐怖や欲望まで偽物になるわけではありません。
事実ではない形式によってしか届かない真実があるという逆説として読むと、作家・芥川の警句らしさが見えます。
まとめ
この文章は『侏儒の言葉』に確認できる本人の警句です。
ただし「嘘をついてもよい」という一般的な免罪符ではありません。文学や表現において、事実をそのまま述べるだけでは届かない真実がある、という言葉と現実の関係を考えさせる一節です。
出典メモ:芥川龍之介『侏儒の言葉』。青空文庫公開本文で確認。