はじめに
「恋に肩をたたかれた時には、普段は詩心のない人でさえ詩人になる。」
この趣旨の言葉には、プラトン『饗宴』196e付近という原典があります。
ただし、プラトン自身が「恋をすれば創造性が高まる」と直接主張した文章ではありません。『饗宴』の登場人物アガトンが、愛の神エロースを称賛する演説の中で語る言葉です。
この「誰が話しているのか」を押さえると、有名な一文をプラトン自身の恋愛哲学として単純化せずに読めます。
原典は『饗宴』196e付近
『饗宴』は、宴席に集まった人々が順番にエロースについて演説する対話篇です。
196e付近では、悲劇詩人アガトンがエロースを称賛しています。その中で、愛の神に触れれば、それまで詩の才を持たなかった者でさえ詩人になる、という趣旨を語ります。
英訳では、“at the touch of him every one becomes a poet, even though he had no music in him before” と表現される箇所があります。
日本語で流通する「恋に肩をたたかれた時には」という表現は、この内容を印象的に言い換えたものと考えるのがよいでしょう。
話しているのはアガトン
ここで大切なのは、対話篇の登場人物の台詞を、そのまま作者プラトンの信念と同一視しないことです。
『饗宴』では複数の人物が、それぞれ異なる仕方でエロースを語ります。アガトンの後にはソクラテスの演説が続き、さらにディオティマから聞いたという愛についての議論が展開されます。
つまりアガトンの演説は、作品全体における一つの声です。
「プラトンは、恋愛こそ人間の創造性を引き出すと信じていた」と一直線にまとめてしまうと、対話篇という形式そのものを見失います。
なぜ「詩人になる」のか
アガトンの演説では、エロース自身が詩的な創造力を持ち、他者をも詩人にする存在として称賛されます。
ここでの「詩人になる」を、現代的に「恋愛するとクリエイティビティが上がる」という心理学的主張へ変換する必要はありません。
むしろ、愛という力に触れることで、それまで自分になかった言葉や表現が生まれる。その劇的な変化を、詩人であるアガトンがエロースへの賛歌として語っている場面です。
話者自身が詩人であることも、この表現の味わいを増しています。
現代に引き寄せて読むなら
誰かを好きになったとき、それまで使わなかった言葉を使ったり、手紙を書いたり、音楽や詩が急に身近に感じられたりすることがあります。
そうした経験と、この古い一節を重ねて読むことはできます。
ただし、それは現代の私たちによる解釈です。原典が科学的に「恋愛は創造性を高める」と証明しているわけではありません。
原典と現代的な読みを分けておけば、無理にプラトンへ現代心理学を語らせずに、この言葉を楽しめます。
まとめ
「恋に肩をたたかれた時には、普段は詩心のない人でさえ詩人になる」という言葉の源流は、プラトン『饗宴』196e付近にあります。
ただし話者はプラトン本人ではなく、悲劇詩人アガトンです。エロースを称賛する演説の中で、愛の神が人を詩人にする力を語っています。
作者、話者、作品の文脈を分けて読む。そうすることで、「恋をすると詩人になる」という有名な一文が、単なる恋愛格言ではなく『饗宴』という対話の一場面として見えてきます。
この一節を、友情・理想化・「愛すること」など別の愛の思想と比較するなら、「愛とは何か」テーマページへ進めます。
プラトンを人物から読む
プラトン人物ページでは、対話篇の作者と登場人物の話者を分けながら、知識・愛・教育・政治を横断して読めます。
出典・原典:プラトン『饗宴』196e(ギリシャ語原文・英訳併記)(原典本文)。悲劇詩人アガトンがエロースを称える演説中で、愛に触れれば詩心のなかった人も詩人になるという趣旨を語ります。「恋に肩をたたかれた」は原語の逐語訳ではなく意訳です。