「何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行はれ難し」。西郷隆盛の名で伝わる、人材と制度をめぐる一節です。現在は「どんな仕組みも人次第」という経営論として使われがちですが、原典は1890年刊の『南洲翁遺訓』第二十条です。直前には上に立つ者が自分を完全だと信じると、人から誤りを指摘されて怒るようになる、という第十九条があります。つまり大切なのは、単に優秀な人を採用することだけでなく、他人の言葉を聞くことのできる「その人」に自分がなる姿勢です。
出典は『南洲翁遺訓』第二十条
Wikisource公開の『南洲翁遺訓』全文で、第二十条の「何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば行はれ難し。人有りて後ち方法の行はるるものなれば、人は第一の宝にして、己れ其の人に成るの心懸け肝要なり」という文章を確認できます。
元の記事で引用していた「その人」「人ありて後」といった現代的な仮名・漢字の表記は、意味の大筋こそ同じでも、参照した公開本文の表記と完全には同一ではありません。本稿では原文の所在地を示し、読みやすさのために言い換える場合は説明として扱います。
もう一つ重要なのは、この本を西郷自身が1890年に書いたわけではないという点です。西郷は1877年に死去し、旧庄内藩の関係者が生前に聞いた教えを編纂して1890年に刊行しました。国立国会図書館の書誌にも「西郷隆盛述、三矢藤太郎編」と記載されています。西郷に帰される教えの所在としては明確ですが、本人の自筆原稿と同一視はしません。
この教えは、制度を無意味だと言っているのか
「何程制度方法を論ずるとも」の部分だけを強調すると、制度をつくる仕事や手続きを整える努力には意味がない、という意味に聞こえるかもしれません。しかし条文は制度の存在そのものを否定していません。制度や方法が実際に機能するためには、それを担える人物が必要だ、と論じています。
何がよい制度であるかを検討することと、誰がその制度を責任を持って運用できるかを考えることは、対立する作業ではありません。制度が弱ければ人に無理を強いることになりますし、人が責任を回避すれば立派な制度も形だけになります。
第二十条の要点は、最後の「己れ其の人に成る」
「人は第一の宝」と言えば、採用や教育、人材への投資を思い浮かべるでしょう。ですが原文は、そこからもう一歩踏み込みます。「自分自身がその人となるよう心掛けることが肝要」と結ぶのです。
これは「人材は会社の財産です」という一般論よりも厳しい教えです。他者に優れた人物であることを要求するだけでは不十分で、自分が役割を引き受けるに足る人物であるかを問うからです。
組織の中でこの点を読むなら、制度の欠点を指摘する人自身が、決定の説明、失敗したときの訂正、必要な対話を担っているか、という問いに変わります。これは現代に引き寄せた解釈であり、西郷が今日のマネジメント用語を使ったという意味ではありません。
直前の第十九条|上に立つ者が「己れを足れり」と思う危険
第十九条では、昔から君主と臣下が自分を完全だと思って政治を行い、うまく治まった例はないと論じます。満ち足りていないと認められるから、下の立場にいる人の話を聞ける。反対に、自分は十分だと思う人は、欠点を言われると怒ってしまう、という指摘です。
この第十九条に続けて第二十条を読むと、「人が第一」とは、生まれつき優れた資質を持つ指導者への礼賛だけではないと分かります。学び続け、批判を聞き入れ、実際に道を行う者でなければならないという要求が重なっています。
後ろの第二十一条|「人」を支える敬天愛人と克己
第二十一条には「敬天愛人」を学びの目的とし、身を修めるには「己れに克つ」ことを終始心がける、という教えが続きます。成功して名を上げた人ほど、自分を大事にする気持ちが増して慎みを失い、最後の一歩で仕事を失敗させることがあると説きます。
この続きまで読むと、人材の価値を単に能力や実績の多さで決めるわけではないことが分かります。自分の成功に酔わず、他者や道理に向き合えるかという倫理の問題が続いているのです。
「人が大事」を、属人的な組織の正当化にしない
この言葉を「優れたリーダーさえいれば、ルールも監査も不要」と利用すれば、本来の修養の議論とは違う方向へ進みます。個人の善意や献身だけで制度の欠陥を補い続ければ、組織は特定の人物に依存し、安全や説明責任が弱くなる可能性があります。
今日の組織なら、能力のある人を育てることに加え、異議を申し立てられる経路、権限の分担、引き継ぎ可能な手順を用意する必要があります。これは西郷の時代にはなかった制度も含む、現代の編集上の応用です。
AIやITの導入にも似た問題がある
例えばITシステムを導入する場面では、ツールや手順が整っただけで成果が出るとは限りません。目的を決める人、データの意味を理解する人、現場の問題を聞く人、失敗したときの修正に責任を持つ人が必要です。
しかし、そのことは「結局は精神論だけで良い」という意味ではありません。設計が悪いシステムは人が努力しても使いづらいままでしょう。方法と人を競わせるのでなく、方法が機能する条件を人がどうつくるかという問いへ展開する方が建設的です。
自分に引き寄せて読む四つの問い
- 制度や仕組みを批判するとき、その改善を自分はどこまで引き受けられるか。
- 自分の判断に対する異論を、立場の弱い人からも聞けているか。
- 誰かの献身に頼らず続けられる方法や引き継ぎも同時に作っているか。
- 成果が出たときこそ、思い込みや驕りを点検する機会を持てているか。
これらは現代的な活用例です。『南洲翁遺訓』に四つの管理方法として書かれているわけではありません。
まとめ|「人を探す」だけでなく「その人になる」
西郷隆盛の教えとして伝わる「人は第一の宝」は、『南洲翁遺訓』第二十条に所在を確認できます。直前の第十九条、直後の第二十一条には、自分の不完全さを認めて人の話を聞くこと、敬天愛人と克己によって身を修めることが続きます。
制度を軽視する言葉としてではなく、制度を生かす人の責任を自らへ問い返す言葉として読むと、現代の経営論にはない奥行きが見えてきます。
関連する入口:西郷隆盛の人物・出典ガイドと『南洲翁遺訓』全41条の原典ガイドで、条文の有無や聞き書きという資料の性格を確認できます。
参考資料と関連する言葉
- 『南洲翁遺訓』全文|第十九・二十・二十一条 — 原文の連続する条項。
- 国立国会図書館|1890年刊『南洲翁遺訓』書誌 — 西郷隆盛述、三矢藤太郎編。
- 酒田市公式|『南洲翁遺訓』と旧庄内藩の縁 — 成立背景を確認。
- 「人を相手にせず天を相手にせよ」|第二十五条
- 「己を利するは私、民を利するは公」|出典未特定の流通句
