はじめに
「幸福は遠くの未来にある限り光彩を放つが、つかまえてみると、もう何でもない。幸福を追いかけることは言葉の上でしかできない」。この日本語は、アランの1911年3月18日のPropos「Victoires」に対応します。
アランは「未来の幸福」を否定しているのではない
原文ではまず、詩人たちは幸福が遠く未来にある間だけ輝き、手に入ると価値を失うと言いがちだ、と紹介します。しかしアランはその説明を「粗雑だ」と退けます。
彼が言いたいのは「手に入れたものは必ず飽きる」ではありません。幸福を外から眺め、完成品として欲しがること自体が間違っているということです。
幸福は「中へ入る」と姿が変わる
音楽は練習する人に、読書は読みに入った人に、科学は困難を越えた人に、その固有の喜びを開きます。遠くから見て魅力的なものを所有するのではなく、その活動へ参加することで幸福が生まれます。
この同じProposの終わりで、アランは「幸福は、それを探さなかった人へ来る報酬だ」と書きます。
まとめ
この言葉は「幸福は幻想だ」という悲観論ではありません。幸福を対象として追うのではなく、行動そのものへ入り込むことで結果として幸福が生じるという逆説です。
出典メモ:Alain(Émile Chartier), « Victoires », 1911年3月18日、Propos sur le bonheur(1928年版)第87篇、254–256頁。フランス語の掲載本文で、遠くの幸福は輝くと語る詩人への反論と、幸福を言葉として追うことはできないという記述を直接確認できます。日本語は両者の意味をまとめた当サイトの説明訳であり、詩人の主張をアラン自身の最終結論と混同しません。
アランの人物ページへ → 教師・哲学者としての生涯、自由、反戦思想までまとめて読めます。『幸福論』全体は作品ページへ。