アラン『幸福論』とは
『Propos sur le bonheur(幸福論)』は、フランスの哲学者アランが新聞などに書いた短い「Propos」を幸福というテーマで集めた作品です。
1925年に初版が刊行され、1928年版では93篇を収録。収録文は1906年から1926年に書かれています。
一見すると「幸福になるコツ」を集めた本に見えますが、内容はもっと厳しいものです。幸福を外から与えられる感情ではなく、身体・行動・意志・判断をどう統御するかという実践として考えます。
「幸福を探す」と幸福から離れる
「幸福を探し始めると、見つけられない」は、1911年3月18日の「Victoires」にあります。
幸福は商品ではありません。読書、音楽、科学、スポーツの楽しさは、遠くから眺めて欲しがるだけでは分からず、その活動へ入り、一定の困難を越えて初めて経験されます。
同じProposの末尾でアランは、「幸福は、それを探さなかった人へ来る報酬だ」と書きます。
「遠くの幸福」が輝く理由
「幸福は遠くの未来にある限り輝く」という流通句も「Victoires」の議論です。
ただしアランは、「手に入れる前だけ幸福は美しく、得れば空しい」という説明そのものを十分とは考えていません。
重要なのは、幸福を完成した対象として「つかまえる」発想が間違っていることです。幸福は活動の外側から所有するものではなく、活動の中で起こります。
幸福と行動――登山家は別の太陽を見る
「電車で山頂へ運ばれた人は、登山家と同じ太陽を見ない」は、1922年11月30日の「Les plaisirs que l’on se donne」にあります。
登山家は、自分の力を使い、その力を自分自身へ証明する過程で喜びを得ます。
幸福を考えるとき、「何を得たか」だけではなく、自分がその過程で行為者だったかを問うのがアランの特徴です。
退屈――何もしないことはなぜ苦しいのか
1909年1月29日の「L’ennui」では、「何も建設も破壊もするものがない人は非常に不幸だ」と書きます。
何もせず自分について考え続けると、恐怖や後悔が膨らみます。そこで「知覚し、行動することが真の治療だ」と論じます。
幸福は静的な満足というより、世界へ働きかけている状態に近づきます。
過去を悔やむより、現在に手を戻す
1922年12月12日の「La fatalité」には、「なぜ勉強しなかったのか、は怠け者の言い訳。なら勉強せよ」があります。
過去の選択を人生の宿命にしてしまうのではなく、今からできる行動へ戻る。
アランは「過去に勉強した」という実績へ安心することも同時に批判しており、学びを過去形にしません。
「悲観主義は気分、楽観主義は意志」
「悲観主義は気分、楽観主義は意志」は1923年9月29日の「Il faut jurer」にあります。
幸福を得るには、現実を無視して明るく考えるのではなく、気分をそのまま自分の思想にしないことが必要です。
アランにとって、気分は身体に強く影響されます。姿勢、運動、仕事、礼儀などを通じて気分を統御することが、幸福論の重要な技法になります。
「幸福であることは他者への義務」
1923年3月16日の「Devoir d’être heureux」では、自分で獲得した幸福は、愛する人に与えられる最も美しく寛大な贈り物だと論じます。
不機嫌や絶望も他者へ伝染する。だから幸福は完全に私的な問題ではありません。
この点でアランの幸福論は、「自分が気分よくなる方法」を越えて、共同生活の倫理へつながります。
『幸福論』は自己啓発書なのか
短い文章だけ切り取れば、そう見える部分があります。
しかしアランは、重大な不幸すべてを気分転換で解決できるとは考えていません。本人の解説でも、「事情がまずまずの時に幸福である技術」を教える程度のものだと整理されています。
戦争、病気、喪失、社会的不正を「心の持ちよう」で消す思想ではありません。
それでも、日常のかなりの不幸が、気分、退屈、受動性、過去への執着、集団的感情によって増幅される。その部分について、自分にできる実践を考えるのがこの本です。
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作品全体を人物の生涯や政治思想とつなぐ場合は、アラン人物ページへ。
幸福という問いを他の思想家と比較する場合は、「幸福とは何か」テーマページへ進んでください。
参考資料
Alain, Propos sur le bonheur, Gallimard, 1928. 93篇は1906–1926年のProposから構成。Association des Amis d’Alainの公開テキスト、Wikisourceの1928年版、同協会掲載の研究資料を参照しています。