アラン「電車で山頂へ来た人は登山家と同じ太陽を見ない」|1922年「Les plaisirs que l’on se donne」

はじめに

「ロープウェイで来た人は、登山家と同じ太陽を見ることはできない」という日本語には、アランの1922年11月30日のPropos「Les plaisirs que l’on se donne」に明確な原文があります。

原文ではロープウェイではなく、電車によって有名な山頂まで運ばれた人が、登山家と同じ太陽をそこに見いだすことはできない、と書かれています。

山頂の景色ではなく「自分の力を感じること」

直前でアランは、登山家が自分の力を発揮し、その力を自分自身へ証明する喜びを論じています。雪山の景色そのものが違うのではありません。そこへ至る行動が、同じ景色の経験を変えるのです。

そして「受け取る快楽」は約束ほど満たさないが、「行動する喜び」は予想以上のものを返す、と続きます。

同じ景色が違って見えるのはなぜか

原文の登山の比喩は、最初から山を論じる文章ではありません。アランは遊び、仕事、移動の仕方といった身近な活動を通じて、自分で考え、選び、実行できることの喜びを論じています。登山家は山頂に至るまでの道を選び、身体を使い、状況に応じて判断します。その過程で自分の力を実感しているため、同じ風景にも自分の行動が重なって見えるというわけです。

だからといって、電車を使う人が劣っているという話ではありません。目的、体力、移動できる時間によって、山へ向かう方法は変わります。アランの対比から得られるのは、他人の方法を採点する視点より、受け取る成果と、そこまで自分で関わった経験を区別する視点でしょう。

手に入れる喜びと、取り組む喜びを分ける

文章の後半には、競技者が目標のために練習を続けるうち、上達そのものにも別の喜びを見いだす例が登場します。初めに求めた結果が同じでも、取り組む途中で身につく技能や判断の力は、単に与えられた結果とは異なります。ただしアランは、自分で選んだ困難と外から強いられた困難を区別しています。苦労すれば幸福になるという単純な教訓にする必要はありません。

仕事や学習なら、結果だけを受け取る代わりに、自分で試し、過程を観察し、次の一手を決める余地を作れるか、という問いに置き換えられます。関連する「悲観主義は気分、楽観主義は意志」では、自分の判断と気分の関係を別の角度から考えられます。

「苦労すれば幸せ」ではない

この文章の中でアランは、ギリシャの哲学者ディオゲネスの「苦労」に関する考えに触れながら、自分で選び、望んだ苦労と、外から押しつけられた苦労は違うと明言しています。だから山登りの比喩を、苦痛に耐えれば偉いという標語として読むのは適切ではありません。

原文には、カードゲームを楽しむ人、乗り物を操縦する人、仕事を進める人といった例も登場します。そこに共通するのは、困難の大きさよりも考え、選び、判断を変えられる余地です。たとえ小さな作業でも、自分の工夫で結果を変えられるとき、経験の質は変わり得ます。

ただし、現代の労働環境へこの議論をそのまま適用するなら注意が必要です。働く人が忙しいからといって、その全員が満たされているわけではありません。仕事量が多いことと、仕事を自分で動かせることは別です。本人が選べる範囲を増やすという問いを残す方が、原文の趣旨に近いでしょう。

結果を受け取ることと、行為の途中で得ること

アランは、喜びをあらかじめ計算した通りに受け取れるとは考えていません。景色を見たいという期待で山へ向かった人が、登る途中で別の喜びを見つけることもある。見通していた報酬と、行動する中で新しく生まれる実感は必ずしも同じではありません。

学習で言えば、資格や点数を目指していた人が、調べ方や考え方そのものに面白さを見つけることがあります。仕事なら、納品だけが目的だった活動から、顧客の疑問を解く工夫が生まれるかもしれません。当初の目的の達成だけで経験全体を評価しない、という読み方ができます。

もちろん、時間や体力、移動手段に制約がある人が効率を選ぶことを否定する必要はありません。電車で頂上へ行くことにも別の価値があります。同じ太陽が見えないとは、誰かの楽しみが劣っているという判定ではなく、経験が異なるという比喩です。アランの議論を日常に使うなら、この差を区別したいところです。

翻訳を手掛かりに原文へ戻る場合も、細かな違いを見落とさないことが大切です。流通する日本語では「ロープウェイ」と置き換えられることがありますが、アランが書いたのは「電気列車(train électrique)」です。また、太陽の光そのものが物理的に異なるわけではなく、登山の過程を経験した人と、山頂へ運ばれた人の喜びの受け取り方が違う、という比喩です。文章を引用するときは移動手段を区別し、意味を説明するときは結果より過程の重要性を考える。この二段階を分けると、読み違いを減らせます。

まとめ

この一節の核心は苦労礼賛ではなく、幸福には自分が行為者であることが関わるという点です。効率よく山頂へ行くことと、登山そのものを楽しむことは、別の目的です。

出典メモ:Alain, “Les plaisirs que l’on se donne”, 30 novembre 1922. 原文全文(Philosophe Alain)。

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