「いまなら自信を持ってこう言えます。今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします」。樹木希林が残したこの言葉は、亡くなる直前の「最期の言葉」として読まれがちです。しかし原典は、2018年5月に朝日新聞が掲載したインタビュー連載の最終回です。俳優としての仕事、身体との付き合い方、家族、後輩への思いを語った締めくくりとして置かれています。
原典:朝日新聞「語る 人生の贈りもの」最終回
朝日新聞の連載「人生の贈りもの」樹木希林は、2018年5月8日から25日にかけて公開されました。聞き手は編集委員の石飛徳樹です。朝日新聞の関連サイトCRAFTWORKSは2020年9月24日に、連載を再編集した最終回「キラキラキラーッな山崎さんと」を公開しました。そこに該当の言葉が載っています。
一方、朝日新聞出版の『この世を生き切る醍醐味』も、このインタビューに由来する書籍です。今回は朝日新聞社が再掲載した取材本文を直接照合し、書籍の刊行情報を確認しました。2018年の新聞紙面の現物と書籍の全ページを比較したわけではありません。
引用だけでは見えない前後の話
インタビューの最終回では、映画『モリのいる場所』で共演した山崎努への敬意が語られています。また『万引き家族』『日日是好日』など異なる作品に参加できたことを振り返ります。芸歴の長い俳優が、年齢を重ねても周囲の人や若い作り手の仕事を見ていたことが伝わる話題です。
話はやがて、75歳になった自分の身体や、いつ訪れるか分からない死に向かいます。身体は自分が所有しているものではなく借りているものかもしれない、と考えるようになったこと。覚悟が完全に決まっているわけでもないこと。夫との関係や日本映画のこれからへの思いも語られます。
その後に登場するのが、記事の締めくくりとしての言葉です。ですから「上出来」は、若い頃から計画どおりの人生を歩んだという自慢話ではありません。予想外の関係や仕事も含め、いま振り返ってそう言える、という発言として読むことができます。
「人生、上出来でございました」は自己採点の満点ではない
今日までの人生、上出来でございました。
人生の出来事を一つずつ採点すれば、後悔や不満、変えられなかったことも残るでしょう。この言葉を「後悔が一切ない人生だった」という事実の証明として扱うことはできません。直前の発言には、自分が他人をぞんざいに扱ったことへの謝意や、覚悟と呼べるほど確固とした心境かどうか迷う様子もあります。
それでも最後に「上出来」と言う。その語り口には、完全さを求めない受け止め方が感じられます。ただし、これは当サイトの読みであって、本人が心理学的な自己肯定理論を解説したという意味ではありません。
「おいとまいたします」は何からの退出か
「おいとま」は、その場を失礼する際の丁寧な表現です。ここでは、長い対話の締めくくりであり、人生の終わりにも重なる言葉として使われています。格式ばった言い回しに加え、樹木らしいユーモアや軽やかさを感じ取る人もいるでしょう。
ただし、これは2018年5月のインタビュー中の発言です。2018年9月の死の瞬間に遺された肉声の記録とは異なります。「最期の一言」という扇情的な紹介に置き換えると、原典の時期と状況がずれてしまいます。
現代の読者が考えられること
人は、目標を達成したかどうかだけで過去を振り返りがちです。しかし、長い時間のなかには、自分だけでは決められなかった出来事や、偶然出会った人との関係も含まれます。達成できたことだけを数えるのではなく、予想していなかった経験も一度並べてみる。すると「計画どおりではなかったが、悪いことばかりではなかった」という評価が生まれるかもしれません。
一方、苦しみの最中にいる人に対して「人生は上出来だと思いなさい」と押しつける言葉ではありません。肯定的に振り返れるかどうかは、その人の状態と時間に左右されます。この一節は、人生の終わりをどう考えるかという問いを与えてくれるものであり、すべての人に同じ結論を命じているわけではありません。
流通する文言には小さな違いもある
当サイトでは朝日新聞再掲本文の「いまなら自信を持ってこう言えます」と、後半の読点を基準にしています。出版物の紹介では「こう言えるわ」と言い換えた形や、句読点の省略も見られます。どちらが話し言葉の録音に忠実かを音声まで確認したものではなく、ここでは新聞社が提示したテキストに沿って表記します。
出典と確認範囲
出典状態:出典確認済み(新聞社再掲載の取材本文)。2018年5月8〜25日の連載最終回に掲載された発言を、朝日新聞の再編集記事で確認しました。臨終の言葉ではなく、生前のインタビューの結語です。音声・初出の紙面の逐語校合まではしていません。
資料:朝日新聞CRAFTWORKS「人生の贈りもの」樹木希林(最終回)(2020年再編集公開) / 朝日新聞出版『この世を生き切る醍醐味』刊行情報。
関連して読む:樹木希林「おごらず、他人と比べず」 / 「あんまり頑張らないで、でもへこたれないで」 / 名言の出典ステータスの読み方。
