はじめに
「美は厳しく、困難なもので、そう簡単に到達できるものではない」。
これは、オノレ・ド・バルザックの短編『知られざる傑作(Le Chef-d’œuvre inconnu)』に確認できる言葉です。
ただし、バルザック本人が評論や書簡で直接述べた格言ではありません。作品内の老画家フレンホーフェルが、画家ポルビュスの作品を批評する長い芸術論の中で語る台詞です。
原文は「La beauté est une chose sévère et difficile qui ne se laisse point atteindre ainsi」。直訳に近く捉えれば、「美とは厳しく困難なもので、そのようには到達させてくれない」といった意味になります。
この一文だけなら「美しいものを作るには努力が必要だ」という創作論に見えます。しかし作品全体を読むと、もっと危うい意味を帯びてきます。なぜなら、美を執拗に追い続けるフレンホーフェル自身が、その追求によって破滅へ向かうからです。
この言葉はどこで語られるのか
『知られざる傑作』の第一部で、フレンホーフェルはポルビュスが描いた女性像を批評します。
人体の配置は正しい。色もある。遠近法も守られている。それでも彼には、その女性が「生きている」ようには見えません。
そこでフレンホーフェルは、芸術の使命は自然をそのままコピーすることではなく、自然を表現することだと語ります。単に手の形を写すのではなく、その手が持つ動き、生命、精神まで捉えなければならない。
そして、表面的な形を追うだけでは足りないと説く流れの中で、「美は厳しく困難なものだ」という言葉が現れます。
「美が難しい」とは、技術が難しいというだけではない
フレンホーフェルは、正確に描けることだけを芸術の完成とは考えていません。
彼が求めるのは、外形の奥にある生命です。作品中では、画家は対象の「精神」「魂」「表情」を捉えなければならないと語ります。
つまり「美は困難」という言葉は、単にデッサンを何千時間も練習しようという話ではありません。
目の前に見えている第一の姿、第二の姿、第三の姿で満足せず、その奥へ入り込もうとする。対象を「知っているつもり」になることを拒み続ける。その終わりのない探索こそが難しいのです。
「足りないのはわずかなもの、しかしそのわずかがすべて」
同じ芸術論の中には、さらに印象的な言葉があります。
ポルビュスの絵を見ながらフレンホーフェルは、姿勢も目もまつげの影も正しいのに、何かが欠けていると指摘します。
原文では「Qu’y manque-t-il ? un rien, mais ce rien est tout.」。つまり、「何が欠けているのか。ほんのわずかなものだ。しかし、そのわずかなものがすべてなのだ」という趣旨です。
技術的にはほとんど完成している。それでも「生きている」という感覚だけがない。
この逆説は、創作に限らず興味深いものです。完成度が上がるほど、最後の差は数量では測りにくくなる。ほとんど同じように見える二つのものの間に、決定的な違いが残ることがあります。
しかしフレンホーフェルの芸術論を「正解」にしてはいけない
ここで重要なのが、『知られざる傑作』という物語全体です。
フレンホーフェルは十年をかけて理想の女性像「美しきヌーズ(Belle Noiseuse)」を完成させようとします。彼自身には、その絵の中に完璧な女性が見えています。
ところが、ポルビュスとプッサンが完成作を見ると、そこにあるのは色彩と線が積み重なった混沌でした。その中に、驚くほど生き生きした裸足の一部だけが残っています。
生命を表現しようとし続けた結果、フレンホーフェルは対象そのものを覆い隠してしまったのです。
だから「美は厳しく困難なものだ」を、単純な努力礼賛として読むのは危険です。
作品は、美を簡単に諦める危険だけでなく、美を追い詰めすぎる危険まで描いています。
「完璧を求めること」と「作品を完成させること」は同じではない
フレンホーフェルは、妥協しない芸術家です。それ自体は魅力的に見えます。
しかし彼は、自分だけに見える完成へ近づこうとして修正を重ね、他者には何も見えない地点まで作品を変えてしまいます。
ここには、創作をする人なら誰でも直面しうる問題があります。
改善はいつまで改善なのか。どこから先が過剰な修正なのか。作者にしか分からない理想を追い続けたとき、作品は受け手との接点を失わないか。
「美は厳しく困難」という言葉は、努力を続ける勇気を与えると同時に、その努力が自己目的化していないかを問い返す言葉としても読めます。
バルザック本人の名言と呼べるのか
文章を書いたのはバルザックですが、発話者は架空の画家フレンホーフェルです。
しかも作品は、彼の芸術論を魅力的に提示した後、その思想を極端に実践した人物の破滅まで描きます。
したがって、「バルザックは美についてこう断言した」とだけ紹介すると、作品の構造を単純化してしまいます。
正確には、バルザックが『知られざる傑作』でフレンホーフェルに語らせた言葉として扱うのが適切です。
作者と登場人物を区別することで、この言葉の価値が下がるわけではありません。むしろ、その言葉が物語の中で試され、最後には反転するところまで読めるようになります。
まとめ
「美は厳しく困難なものだ」という言葉は、バルザック『知られざる傑作』の第一部で、老画家フレンホーフェルが語る芸術論の一節です。
彼は、正確な模倣だけでは芸術にならず、対象の生命や魂まで表現しなければならないと考えます。そのためには、最初に見えた姿で満足せず、粘り強く対象を追わなければならない。
しかし物語は、その思想をそのまま称賛して終わりません。完璧な美を追い続けたフレンホーフェルは、ついには他者から理解できない作品を生み出してしまいます。
美は簡単には手に入らない。けれど、美を追い続ければ必ず正しい場所へ着くとも限らない。
その両方を一つの物語に入れているところに、この言葉を原典で読む面白さがあります。
出典
Honoré de Balzac, Le Chef-d’œuvre inconnu, première partie “Gillette”. 原文ではフレンホーフェルのポルビュスに対する芸術論の中に「La beauté est une chose sévère et difficile qui ne se laisse point atteindre ainsi」と記されています。
