引きこもり学生が10年後、外コンに入社してうつ病になるまで 〜 ①出生から小学校まで〜

rear view of woman standing in balcony during sunset引きこもり学生→外コン(休職)の軌跡
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本記事は連載形式を取っております。

はじめに

引きこもり学生が10年後に外コンに入社してうつ病になるまでの軌跡を描いたブログです。

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この投稿では、これまでの人生を振り返った上で、今の状況(=外コンに入社するも休職)を招いたと思われる要因を人生の各フェーズ毎に整理しています。

事前にお伝えしておきますが、私自身はとても恵まれた環境で育ってきたと思います。

決して「かわいそうな子供」ではなかったのです。

しかし今振り返ってみると、この世に生を受けてから、育ってきた環境、その中で身につけた習慣やマインドが、今の状況を作り出した一因だと思っています。

このタイミングで一度自分自身を振り返り、整理をした上で、今後の生き方を考え直してみたいと思っています。

同じような境遇で苦しんでいるの方、これから社会人になる方、様々な方に読んで人生の参考にしていただければ幸いです。

出生

私は三兄弟の末っ子として生まれた。

祖父の代から家業を営んでおり、比較的儲かる事業をしていたので小さいころから海外旅行に連れて行かれたりしていた。

親戚にも恵まれていた。また末っ子ということもあり大変可愛がられて育った。

母に似たのか、人たらしというか八方美人な部分もあり、どういう態度をとれば大人が喜ぶかということをよくわかっていたようなところがあった。

そういう可愛らしい性格もあり、欲しいものは何でも買ってもらえたし、してほしいことも何でもしてもらえた。

また何処の兄弟でもそういう部分があると思うが、二人の兄には大人になるまでいつもこき使われていた。

また何をするにも兄を追従する形で行動していた。

今の状況(=外コンに入社するも休職)を招いたと思われる要因

  1. わがままを言えば何でも手にはいる環境
  2. 目上の人間に対して八方美人的な性格
  3. 目上の人間の言うことは従わないといけないというマインドの形成

幼稚園

私は3歳になってから兄が通っていた幼稚園に通いだした。

友達もたくさんでき、一日中遊んでいることがとても楽しかった。

幼稚園が終わった後も友達の家に遊びにいき、公園に行ったりゲームをしたりして遊んだ。

細かいところまでは覚えていないが、卒園アルバムに書いてある先生からのコメントを見ると、自分の言いたいことを言えずに 「んーと、んーと」と言ってモジモジして泣き出してしまうような子供だったらしい。

大人が喜ぶようなことはポンポン言えても、自分の本音や汚れた感情を表現することができなかった。

あと、覚えていることとしては運動が良くできた。

年長だったころに、兄が通う小学校の運動会を見に行き小学生たちが逆上がりをしているところを見た。

それを見て逆上がりの存在を知り、トライしてみると一発で出来た。

それだけではなく、足に地面をつけることなく、連続で逆上がりし続けることができた。

その他のスポーツ(かけっこやドッジボール、跳び箱など)も得意で将来の夢は当時熱中していた「筋肉番付」に出場しモンスターボックスの世界記録を樹立することだった。

幼稚園にしていわゆる「リア充」だった。友達がたくさんいて、運動ができて、女の子にもよくモテた。親御さんや先生からも人気がある子供だったと思う。

子供ながらにこの世で叶わないことはないと思っていて、欲しいものは何でも手にすることができた。

今の状況(=外コンに入社するも休職)を招いたと思われる要因

  1. 自分の言いたいこと(本音や薄汚れたこと)を言えない性格
  2. 誰からも人気があり、それが当たり前だと思うマインド
  3. 世の中に不可能なことなど無いと考える、ある種の全能感

小学校

楽しかった幼稚園を卒園し、地元の小学校に入学した。初めての環境に戸惑うこともあったが、新しい友達もできて楽しかった。

小学生になりたての頃の思い出としては、初めての給食だ。

私は味噌汁の汁を飲み干すものだと知らなかった。

具を食べ終わった後に何の疑問も抱かず、汁を手洗い場に捨てに行こうとして先生に止められ、汁は飲み干すものだと知った。他の子供たちは当たり前のように汁を飲み干しており、何だか自分が世間知らずで恥ずかしい人間な気がした。

また、私の通っていた幼稚園は古くからある仏教系の私立幼稚園ということもあってか、とても品が良い友達が多かった。

しかし小学校にはやんちゃで乱暴な子供多くて、とても怖かった。(将来的にはそのような子達とも仲良くなる。)

一年生の頃、幼稚園の頃の友達が別の幼稚園からきた子供にいじめられて泣かされるという出来事があった。

しかし私は怖くなってしまい、その友達を助けることが出来なかった。

その時、自分が不甲斐なくて、怖がりで「凄くずるい奴」だと思った。

私は小学二年生の頃から学校の野球クラブに入団した。

始めた理由はシンプルで、兄が野球をしていたから、同じクラスやんちゃな子から野球に誘われたからだ。

たまに兄の野球の試合を見に行ったりしたが決して好きだとかやりたいと思ったことはなかった。

ただ、周りに流されて野球を始めた。(正確には強要されたわけでは無いが勝手に、始めざるを得ないように感じていた。)

野球は結果的に高校卒業まで続けることになる。得るものを多く、生涯の友人もできた。

そして私の人生に良くも悪くも大きな影響を与えた。

野球クラブといっても、様々な形が存在している。

土日だけ集まって仲良しこよしで練習をするだけで、決して上を目指さないクラブ。

平日の学校が終わった後にグラウンドを貸し切って、夜7時くらいまで練習、土日は近隣の学校に行って練習試合。

大会では地区大会の優勝、ひいては県大会さらに上位の大会を目指すクラブ。

私の学校のクラブは後者のクラブだった。

クラブの指導者や父兄の方は熱心でとても優しかった。

ただ地方ということもあり、元暴走族の親がとても多かった。

なので必然的にメンバーもやんちゃな子が多かった。

私自身、前述の通り運動ができたこと、兄が先に所属していたこともあり、恐怖を覚えながらも馴染むことはできた。

ここから少しずつヤンキー文化に染まっていった。

練習は厳しく、厳しい声が飛ぶことも多かった。

前述の通り、三兄弟末っ子として可愛がられていた私にとっては苦しいものがあった。 そんな私の性質を見抜いていた指導者や父兄はとても私に気を使ってくれていた。

ありがたかった一方で、何だか自分が腫物で弱い人間だとも感じていた。

他のメンバーは元暴走族の子供ということもあり、ある意味乱暴な扱いにも慣れていたのだと思う。

そんなメンバーの隣で甘やかされている自分がいて、どう見られているんだろうか、ずるいと思われているのだろうか?と気になっていた。

また甘やかされ続け、ちやほやされ続け、何でもできた(できると思っていた)私は失敗に極めて弱く、嫉妬心が強かった。

野球は3割打てれば優秀というスポーツであり、 失敗のスポーツであり、失敗とどう向き合うかが肝のスポーツと言えると思う。

そんなスポーツをしていればどんなに上手くても、思い通りにいかないことがある。

4年生くらい頃、私は三振する度に、号泣し酷い時にはそのままどこかに走って行き姿を消しては指導者屋や父兄、メンバーを困らせていた。

2ストライク追い込まれた段階で心臓がバクバクし、来た球に対して、バットが空を切ったことを認知した瞬間から涙があふれ出た。

三振した自分が恥ずかしくて、悔しくて仕方がなかった。

そんな尊大な自尊心を持っているもの、同級生のメンバーには自分より身体能力高く、センスが溢れているメンバーがいた。そんなメンバーにずっと嫉妬していた。

ただ誰が見てもそのメンバーの方が遺伝子レベルで優秀だった。いつしか彼のことを自分の劣等感を刺激し、常に自分を攻撃してくる人間のように思えた。

実際に彼自身も尊大な部分があり、味方がエラーしたり、自分の思う通りにいかないと露骨に機嫌を悪くするタイプだった。

そんな彼に対して、ものを言えるメンバーはおらず、私自身も彼が怖く、それでいて彼に対して複雑な感情を抱いていた。

色々な感情をいただきながらも、結果として小学六年生の頃に、チームは県大会で準優勝という成績を残す。

その頃を振り返ると決して野球が好きではなかったが、一生懸命にはなっていた。

周りから見れば野球大好きな少年に見えていたことだと思う。(実際に変に空気を読んで、好きなスポーツは野球と答えていたし、将来の夢は野球選手だと言っていた。)

なぜ一生懸命になっていたかを今になって考えてみると、「周りの空気がそうさせていた」としか言えない。実際にそんな野球に熱中している私を親も誇りに思っていただろうし、それが嬉しかった。

野球×親という観点で外せないエピソードがある。

私が野球をしている時に不貞腐れて、手を抜いているシーンを見た親父が「ちゃんとやれ」的なこと言ったらしい。

それを聞いた私は親父に詰め寄り、「いつも中学生になった兄の野球を見に行って、こっちにはたまにしか来ないくせに、偉そうなことを言うな」と言い、泣きながら親父を蹴ったというのだ。(※実はあまり覚えていない。大人になってから親父に聞いた話だ。)

このエピソードについてじっくり考えてみると、手を抜いている自分を指摘された恥ずかしさと親からの承認欲求・寂しさがそうさせたのかなと思っている。

これまで述べてきた精神的弱さと昔から自分を全面的に肯定してくれていた親から、否定されたショックがそうさせたのだと思う。

ここから小学校時代の恋愛についても触れておこうと思う。

恋愛・性が自分の人生に与えた影響もとても大きいと思っているからだ。

先述の通り、幼稚園の頃からとてもモテた。一番モテた のは小学校二年生の時で、学年で40人くらいの女子生徒のうち、1/4以上にあたる12人からバレンタインチョコをもらった。

人当たりが良く、ニコニコしていて、運動が得意だったからだと思う。

その中で、幼稚園の頃から小学校を卒業するまで、私のことを特に好いてくれていた女の子がいた。

しかし気恥ずかしさもあり、特にその女の子のことを特別視していなかった私はとても冷たい態度をとって、彼女を傷付いていた。その上で私は4年生の時に、その女の子と仲良しの女の子を好きになってしまった。

私は自分の本音を伝えられない子供だったので、その女の子に好きと伝えることはおろか、挨拶や会話すらできなかった。

いつも遠くからその子のことを見つめてはドキドキ・悶々としていた。今思えばストーカーに近かったと思う。そんな状況なので、私と彼女が結ばれることはなかった。

何故自分が好きな女の子には全く振り向いてもらえないのに、関わるのが嫌になって、冷たい態度をとっている女の子にはずっと好かれ続けているのだろうと思っていた。

とてもありふれた話だとは思うが、当時はとても不思議だった。

自分の欲しいものが手に入らない苦しみ・寂しさ、精神的な弱さ、年齢による男性的な成熟、それらが相まって、小学生にして歪みが生まれていた。

この時期の子供にありがちだと思うが、とても悪いことをしている気持ちになり、罪悪感を感じているものの、この時期にしか味わえない圧倒的な興奮感に勝てるはずもなく、夢中になった。

※恋愛と性に関する話は人生の話と切っても切れないので、後述します。

今の状況(=外コンに入社するも休職)を招いたと思われる要因

  1. 恥をかくことを過度に恐るマインド
  2. 恐怖・悪を目前にして、勇気を出せない小心さ・狡猾さ
  3. 周囲に流されて、やりたくないことを始めたこと
  4. 好きではないことに取り組み、目的を持たないまま一所懸命になったこと
  5. 失敗を過度に恐れること
  6. 失敗との付き合い方が下手くそだったこと
  7. 自分の気持ちよりも親を喜ばせたい・悲しませたくない・認められたいという気持ち

※続きは以下になります。

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