引きこもり学生が10年後、外コンに入社してうつ病になるまで 〜 ②中学校から高校まで〜

rear view of woman standing in balcony during sunset引きこもり学生→外コン(休職)の軌跡
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本記事は連載形式を取っておりますので、こちらを読む前に「引きこもり学生が10年後、外コンに入社してうつ病になるまで 〜 ①出生から小学校まで〜」を読むことお勧め致します。

はじめに

引きこもり学生が10年後に外コンに入社してうつ病になるまでの軌跡を描いたブログです。

この投稿では、これまでの人生を振り返った上で、今の状況(=外コンに入社するも休職)を招いたと思われる要因を人生の各フェーズ毎に記載しています。

事前にお伝えしておきますが、私自身はとても恵まれた環境で育ってきたと思います。

決して「かわいそうな子供」ではなかったのです。しかし今振り返ってみると、この世に生を受けてから、育ってきた環境、その中で身につけた習慣やマインドが今の状況を作り出した一因だと思っています。

このタイミングで一度自分自身を振り返り、整理をした上で、今後の生き方を考え直してみたいと思っています。

同じような境遇で苦しんでいるの方、これから社会人になる方様々な方に読んで参考にしていただければ幸いです。

中学校

私は中学校に入った。

私が通っていた中学校は同じ市内の5つの小学校が集まって集団を形成しているという感じで、一学年で250名近い生徒が在籍していた。

地方ということもあり、やんちゃな生徒が多かったが小学生の頃に元暴走族の指導者・父兄の元で野球をしていた私にとって、雰囲気に適用することは比較的簡単だった。

不良生徒たちは漫画クローズの世界観に憧れを持っており、「学年で誰が一番強いか」ということを張り合っていた。

そして、誰かが不良少年の彼女に手を出したとかの問題が起こると、当事者は、不良少年に放課後呼び出され、殴られるということが度々あった。

そういう話の中で私にはほろ苦い話がいくつもある。

小学校から一緒に野球をやっていた仲間が学年最強と言われる不良少年の彼女に手を出したということで、放課後学校の近くの神社に呼び出されて、ボコボコにされた。

私は仲間について来てほしいと言われて、その場にいたのだが、あまりの恐怖に体を動かすことができずに呆然としていた。

他にも、有名な不良少年に決闘を申し込まれ、怖くて怖くてたまらなくなり、謝罪して許してもらったという出来事もあった。

私自身も例に漏れず不良を演じていたし、兄が有名な不良だったということもあり、不良グループからも一目置かれていた。(実際に周囲からは強いと思われていた。)

しかし実態は怖がりで、小心者で、とてもずるい人間だった。

強がったり、仲間思いのふりをしているだけの臆病者だった。当時そんな自分を惨めに感じ、強くなりたいと思ったが、結局のところ今も本質的な部分は何も変われていない気がする。

また小学校の頃から始めた野球は、中学校に入り、部活ではなく地元の硬式野球クラブに所属することになった。

それなりに高い月謝を払って、高校野球の舞台で活躍すること、プロ野球選手になることを目的にしたクラブチームだ。

中学校の部活では少年野球と同様に軟式ボールを使うのだが、所属していたクラブでは高校に入った時にアドバンテージになるように硬式球を使ってプレイをする。

そこに入団するメンバーは少年野球の頃から抜きん出ており、高い志をもっている。

また父兄もわざわざ高い月謝を払い、送り迎えや休日の遠征に参加する必要があり、野球に対して意識が高い系の集団だった。(実際に都会では入団テストを設けていたりする)

私の兄がこのクラブに所属していたこと、少年野球の仲間達がこのクラブに入るということもあり、特に野球が好きでもない私もこのクラブに入団することになった。

実はこの時に親に対して、「僕はこのクラブに入りたくない」と言った覚えがある。しかしどういう経緯か、私は入団することになった。

恐らく親としても兄が入っていて、周りの仲間が入るのだから入ることが当たり前で自然なことだと考えていたのだろうと思う。

兄や周囲から外れることに対して格好がつかないという変な見栄もあったのだと思う。そして人生において上を目指していない環境に身を置くことに批判的だったのだと思う。

実際に硬式野球クラブに入団すると、私の野球に対する劣等感は更に高まったように思う。

それは当然のことで地元の優秀で志の高いメンバーが勢ぞろいするという状況であり、大会に参加すると未来の甲子園球児や未来のプロ野球選手達と戦わなければならないのだから。

見方によってはそういう人間達と一緒にプレイできるというのはとても恵まれていることだと思う。

しかし私にとっては、好きでもない野球をやりコンプレックスを抱くだけという環境で休日は全て潰れ、朝早くから県外に遠征する。という状況で、すごく嫌だったなと思う。

好きでもないことにコンプレックスを抱くというのもどこか変な話だし、実は野球が好きだったんじゃない?と思われる方もいるかも知れない。

しかし私の身を置いて来た環境は野球の上手い下手が人間の価値を決める。みたいな側面があった。

「野球を辞めたい」と言いたいけど言えない。なのに野球でしか自分の価値を証明できない、認められないと思い込んでいた惨めな私は、なんとも形容しがたい感情を抱いていた。

一方で中学校に入ってから何故か勉強が良くできるようになった。

家のルールで中間・期末テストで学年50位以内に入れば、携帯電話を買ってもらえるというものがあった。

兄が携帯電話を持っていること、同級生が携帯電話を持っていることが羨ましかった。

当時はまだ今のスマホと比べるとできることも限られていたが、メールやゲームや音楽視聴を楽しむことができ、私も欲しいなと思っていた。

携帯電話欲しさにつられて、入学して一番最初のテストで学年で30位くらいの成績を収めて、私は携帯電話を買ってもらうことができた。

小学校では決して勉強ができる子供ではなかった私が急にいい成績を取ったものだから、親や小学生からの同級生はとても驚いていた。

何より私自身が一番驚いていた。何故急にできるようになったかは未だによくわからない。

携帯電話を買ってもらってからは、周囲の友達や女の子の連絡先をGetして、主にメールを楽しんでいた。はじめはとてもたわいもない話をしていた。

しかし、思春期真っ只中であり、徐々に自分の欲求・欲望が抑えられなくなった。

3年生の頃に始めて彼女ができた。とても可愛い子だった。

もともとその女の子が自分のことを好いていてくれたこともあり、私から告白をして付き合うことになった。

半年ほど付き合ってから私の方がのめりこんでしまった。恋愛はやはり難しいもので彼女の方は冷え切っていた。そして別れを切り出された。

そんなこんなありながら、私の中学校生活は終わりを迎え、無事地元の進学校への入学決まった。

今の状況(=外コンに入社するも休職)を招いたと思われる要因

  1. 強がりで見栄っ張りだが、実は見掛け倒しで、臆病・小心者だったこと
  2. 自分の能力に対する劣等感
  3. やりたくないと言えないメンタリティ
  4. 自分の欲求・欲望を適切にコントールできないこと

高校

私は高校に無事進学した。進学先は地元の名門校といった感じで、各中学校の成績優良生徒が集まる高校だった。

進学校だけあって、入学前に課題が出され、入学と同時に確認テストを行うような学校だった。

昔から宿題をやらない子供だった私はもちろん確認テストの結果もお粗末だった。

進学校と言っても、名門私立高校ではなく、地元の公立高校だった。

そのため少数派ではあったが自分と同じように不良グループに属していたという生徒もいた。

当然、そういった生徒と仲が深まった。

高校に進学して驚いたこととしては、名前を呼び捨てではなく「さん付け」で呼ぶことだった。

今となればそれは当たり前だと思うが中学時代不良グループと親交が深かった私ははじめは戸惑った覚えがある。

部活は野球部に入った。私は音楽が好きだったこともあり、親父に軽音部に入りたいと言ったのだが、「なんのために硬式野球クラブに入れたと思ってるんだ」と言われ渋々頭を刈り上げた。

またやりたくもない野球を続けることになったのだが、これまで野球に対して劣等感を持っていた私にとって環境の変化があった。

これまで硬式野球クラブに所属しており、徹底的に自信を失っていた。

しかし進学校にいるメンバーのほとんどは中学の部活出身であり、入学当初、私はアドバンテージがあった。

また硬式野球クラブ出身ということもあり、監督や先輩にも目をかけられていたし、実力的にかなり上位にいたので、とても気分が良かった。

今となっては劣等感の裏返しのような話でとても恥ずかしくなるのだが、おかげで気分のいい高校生活を送ることができた。

結果的に快活に過ごすこともできたし、部活を通して一生の仲間ができた。人生を振り返ってもこの時よりも満たされていた時間はない。

勉強はというと、前述の通り宿題をやらない生徒だったので、からっきしだった。

試験前の一夜漬けでなんとか赤点を回避するだけだった。

学校生活全般を思い返すと、気の合う仲間に囲まれて、学校祭では応援団長やバンドなどの活動も行い、青春真っ只中といった感じだった。

1日1日が最高に楽しくて、自己肯定感も高く、周囲からも認められていた。

一方でその一瞬一瞬に夢中で、大学進学のこと、将来のことは何も考えていなかった。したいこと・やりたいことを聞かれても、今が最高に楽しすぎてどうでもいいと思っていた。

これまで通り恋愛・性についても触れておこうと思う。入学当初、中学生時代の悪癖が抜けずに「おいた」をしたことはあったが、これまでよりは健全に過ごすことができていた。

二年生の時に一学年上の女性と付き合った。当時流行っていたSNSを通じて知り合い、一気に意気投合。学校祭の後に付き合った。しかし、彼女が受験期ということもあり破局した。

三年生の時には一学年下の女性と付き合った。個人特定のためここでは詳細を省くが、彼女とは卒業後遠距離恋愛を挟みながらも、7年間近い大恋愛をする。私の人生を大きく揺り動かした人物だ

この頃は精神的にとても安定していて、欲は強いものの、異常行動は特に見られなかったと思う。

青春を満喫し、勢いそのまま無事、地方国公立大学に合格。しかし私は最高に楽しかった高校を卒業したくなく、周りが大学生活に夢想する意味がわからなかった。

全く勉強したいこともやりたいこともなかった。そのくせ、この後とても仄暗い大学生活が待っているとは思っていなかった。

今の状況(=外コンに入社するも休職)を招いたと思われる要因

  1. 宿題(ある種ルールとしてやらなければいけないこと)をやる習慣がなかった
  2. 将来のことを考える習慣がなく、知ろうとすることもなかった
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