はじめに
「どんな愚者でも歴史を作れる、しかし歴史を書くには天才が必要である。」として流通しているオスカー・ワイルドの言葉には、対応する原文があります。
“Anybody can make history. Only a great man can write it.”
出典は1891年に刊行された評論的対話篇『The Critic as Artist(批評家としての芸術家)』です。形式上、この言葉を語るのはワイルド本人ではなく、対話の登場人物ギルバートです。
また、流通する日本語の「どんな愚者でも」「天才」という表現は原文そのままではありません。原文は “Anybody” と “a great man” です。意味を強めた日本語が定着している点にも注意が必要です。
原文では「愚者」「天才」とは言っていない
“Anybody can make history. Only a great man can write it.” を比較的素直に訳せば、「誰でも歴史を作ることはできる。歴史を書くことができるのは偉大な人だけだ」となります。
「どんな愚者でも歴史を作れる」という日本語は、Anybody を「愚者」に置き換えています。また “a great man” も「天才」と完全に同じ意味ではありません。
そのため、日本語の名言だけをワイルドの正確な発言として引用するより、原文から少し強く意訳された流通形として扱うのが適切です。
『批評家としての芸術家』の中で読む
『批評家としての芸術家』は、批評を創作より劣った二次的な活動として扱う見方を揺さぶる対話篇です。ギルバートとアーネストの会話を通じて、批評、芸術、解釈、歴史などについて逆説的な議論が展開されます。
問題の一文も、「歴史上の出来事を起こす人」と「歴史を書く人」を単純に比較した職業論ではありません。
歴史を書くという行為にも、素材を選び、意味を与え、一つの像を構成する創造性が必要になる。そうした議論の中で読むと、この警句は記録や批評もまた創造的な営みになり得るという作品全体のテーマにつながります。
「歴史を書く人が真実を決める」という意味でもない
この言葉から「歴史家こそ出来事の本当の価値を決める」「記録した人が真実を作る」とまで断定するのも危険です。
ワイルドの対話篇では、意図的な逆説や誇張が議論を動かしています。一文だけを取り出して歴史学の原則のように扱うと、その文学的な性格が失われます。
むしろ興味深いのは、出来事そのものと、それを後から理解し記述する行為は同じではないという点です。何が起きたかだけでなく、それをどう配置し、どう語るかによって歴史像は変わります。
現代に引き寄せて考える
現在は、出来事が起きた瞬間から大量の写真、動画、投稿、記事が残る時代です。それでも、情報が多ければ自動的に歴史が書けるわけではありません。
無数の事実から何を選ぶのか。どの情報を関連づけるのか。どの視点から説明するのか。そこには判断と構成が必要です。
これは歴史だけでなく、ジャーナリズム、研究、評論、さらには日々の情報発信にも当てはまります。出来事を発生させることと、その意味を考えて言葉にすることは別の仕事です。
まとめ
「どんな愚者でも歴史を作れる、しかし歴史を書くには天才が必要である」として知られる言葉の原文は、“Anybody can make history. Only a great man can write it.”。『批評家としての芸術家』でギルバートが語る言葉です。
流通する日本語は「Anybody」を「愚者」、「a great man」を「天才」とする強めの意訳になっています。
原典へ戻ると、この一文は単なる「歴史家は偉い」という主張ではなく、批評や記述にも創造性があるというワイルドの対話篇の大きな議論の中で読むことができます。
オスカー・ワイルドを人物から読む
オスカー・ワイルド人物ページでは、本人が書いた警句と、小説・戯曲・対話篇の登場人物の台詞を区別しながら、逆説・美・自己演出・翻訳の変化を横断して読めます。