はじめに
「実務的な生にとって、天才は、劇場での遠眼鏡よろしく、必要なものである。」流通する日本語は少し分かりにくいですが、ショーペンハウアーには、天才的な認識と実生活で必要な合理的認識を区別する議論があります。
重要なのは「天才なら実務でも万能」という話ではなく、むしろ逆です。芸術や世界の本質を見る能力と、日常生活を巧みに処理する能力は別物だというのが彼の天才論です。
天才に向く認識、実生活に向く認識
『意志と表象としての世界』でショーペンハウアーは、原因や関係を追う合理的な認識は実生活や科学に役立ち、個別の利害関係から離れて対象を見る天才的認識は芸術に役立つ、と区別します。
この区別から、優れた芸術的・哲学的能力を持つ人が、日常の実務でも必ず優秀だとは限らないという議論が生まれます。
「天才=何でもできる人」ではない
現代語の「天才」は万能な高能力者という意味で使われがちです。しかしショーペンハウアーの天才概念はもっと限定的です。世界を通常とは異なる仕方で直観し、それを芸術などとして表現する能力に重点があります。
そのため、天才性と実務能力が一致しないことは矛盾ではありません。むしろ彼の理論では自然なことです。
まとめ
流通する日本語は訳語がやや不自然ですが、その背後にはショーペンハウアーの天才論があります。
深く見る能力と、うまく生きる能力は同じではない。知性を一つの尺度で測らないという点で、この議論はショーペンハウアーの思想の意外な一面を見せています。