はじめに
「天才の特徴は、凡人がひいたレールに自分の思想をのせないことだ」。日本語ではスタンダールの名言として流通し、フランス語でも「Le propre du génie est de ne pas faire courir sa pensée sur les rails tracés par les esprits médiocres」という形が見つかります。
しかし今回、『赤と黒』『恋愛論』など公開されているスタンダールの一次本文を照合した範囲では、この文章の原典位置を確認できませんでした。
一部の引用データベースは『赤と黒』を出典としますが、作品本文の該当箇所を示しておらず、現段階でそれを根拠に「『赤と黒』の一節」と断定することは避けます。
「レール」という比喩は何を表しているのか
言葉そのものは非常に分かりやすい構造です。
凡人がすでに敷いたレールとは、社会で常識とされている考え方、既存の評価基準、他人が作った問題設定などを象徴しています。
天才とは単に頭の回転が速い人ではなく、そもそも他人と同じ軌道で考える必要がない人だ、という意味に読めます。
スタンダールの思想とは相性がよい
スタンダールが独創性や強い個人性を重視したこと自体は、作品や批評から十分にうかがえます。
『赤と黒』のジュリアン・ソレルをはじめ、彼の人物たちは社会の既成秩序と自分自身の欲望との緊張の中で生きています。またスタンダール自身も、同時代の評価より未来の読者を意識するような姿勢を繰り返し示しました。
そのため、この「レール」の言葉がスタンダールらしく聞こえるのは不思議ではありません。
「本人らしい」は出典の証明ではない
しかし、ここが名言を調べるときの重要なポイントです。
ある言葉が人物の思想と一致していても、その人物が実際にその文章を書いたとは限りません。後世の要約、翻訳、言い換えが、本人の名前と結びつくことがあります。
今回もフランス語形そのものは流通していますが、信頼できる一次資料上の作品・章・ページへ接続するところまでは確認できませんでした。
「天才=逆張り」でもない
言葉の意味を考える場合にも注意が必要です。
既存のレールに乗らないことは、他人と反対のことを言えば天才になれるという意味ではありません。独創性とは、常識に逆らうことそのものではなく、問題を自分で観察し、自分の頭で考えた結果として既存の軌道から外れることです。
他人と違うことを目的にすれば、それもまた「違うことをする」という別のレールに乗っているだけかもしれません。
まとめ
「天才の特徴は、凡人がひいたレールに自分の思想をのせないことだ」は、スタンダール名義で日本語・外国語ともに流通しています。
ただし今回の調査では、『赤と黒』などの一次資料からこの一文の位置を確定できませんでした。そのため、スタンダールに帰属されるが原典未確認として扱います。
思想的に本人らしいことと、本人が実際に書いたことは別です。この区別を残すことで、言葉の面白さを失わずに、作者帰属の精度も守ることができます。