流通する日本語は、リンカーン自筆の文章そのものではない
「僕もこうして人間に生まれてきたんだから、やはり何か生きがいが感じられるまで生きている義務がある」。この日本語はリンカーンの名言として紹介されていますが、本人の書簡や演説にこの形の文章が確認できるわけではありません。
一方で、非常によく似た内容をリンカーンが語ったという古い証言はあります。親友ジョシュア・スピードの後年の回想によれば、1841年に深い苦悩の中にあったリンカーンは、「自分が生きたことで世界が少し良くなったと確信できるまで生きたいという、抑えがたい願いがある」という趣旨を語ったとされています。
したがって、現在流通する日本語をリンカーンの逐語的な発言として引用するより、Speedの回想に残る言葉を日本語で大きく意訳したものとして扱う方が慎重です。
一次資料と「本人を知る人の回想」は分けて考える
歴史上の人物の言葉には、本人が書いた手紙や演説原稿として残るものと、周囲の人物が後から「こう語った」と記録したものがあります。両者は同じ確度ではありません。
この言葉は後者です。Speedはリンカーンの親しい友人でしたが、現存するリンカーン自筆の文章をそのまま読んでいるわけではありません。そのため「リンカーンがこう考えていたという重要な証言」は言えても、句読点まで含めた逐語的な本人資料として扱うべきではありません。
「生きがい」より、「世界を少し良くする」に近い
流通する日本語では「生きがいが感じられるまで」となっています。しかしSpeedが伝えた英語の中心は、the world is a little better for my having lived in it です。
これは単に「自分が生きる意味を感じたい」という内面的な満足より、自分が存在したことで世界に何らかの良い変化を残したいという方向に近い表現です。日本語訳の違いによって、言葉の焦点も少し変わっています。
大きな功績でなくてもいい
この言葉を、歴史に名を残すほどの成果を求める話に限定する必要はありません。「世界を少し良くする」という尺度なら、仕事、家族、友人、地域、創作など、その範囲はいくらでも考えられます。
人生の意味を一度に発見しようとするより、自分が関わった場所を以前よりほんの少し良くできたかと問い直す。その読み方なら、言葉を過度に英雄化せず日常へ持ち帰れます。
まとめ
「生きがいが感じられるまで生きる義務がある」という日本語を、リンカーン本人の逐語的な名言として確認することはできません。
ただし、親友Joshua Speedの後年の証言には、リンカーンが1841年に「自分が生きたことで世界が少し良くなったと確信できるまで生きたい」という趣旨を語った記録があります。したがって、このサイトではリンカーン自筆の一次資料ではなく、親しい友人の回想をもとに広まった言葉として扱います。
出典メモ:Joshua F. Speedによる後年の回想。Michael Burlingame, Abraham Lincoln: A Life, Vol. 1, Chapter 6でもSpeedの証言として紹介されています。現在流通する日本語は原文の逐語訳ではありません。
リンカーンの言葉を人物から読む
エイブラハム・リンカーン人物ページでは、自由・民主主義・自己形成をめぐる本人の演説や手紙と、回想記録・誤帰属を出典の強さごとに区別して読めます。