「それをしている自分を愛せ」の原文と掲載記録
「たとえあなたが何をしていようとも、それをしている自分を愛せ」。タデウス・ゴラスの言葉として知られるこの一節は、単なる自己肯定の標語より広い文脈に置かれている。英語の流通形は「Whatever you are doing, love yourself for doing it.」である。自分の今の行動を見つめ、自己否定だけに陥らないための言葉として読める。
1981年に米国の『The Sun』誌に掲載されたゴラスの紹介記事では、著者の許可を得て『The Lazy Man’s Guide to Enlightenment』の第1章などを転載し、この一節を本の重要な言葉として掲げている。単なる出典不明の名言サイトより、著者とつながった同時代の紹介記録に近い資料だ。
ただし、日本語で流通する「たとえ」を含む訳文は、原語のニュアンスを移した翻訳である。名言ナビにも異訳が載っており、どの日本語版の何頁に同じ形で載るかは未確認だ。英語原文の確認状況と、日本語訳の逐語一致は分けて扱う必要がある。
『なまけ者のさとり方』で語られる愛と意識
ゴラスの本は1972年に小冊子として出版され、後に改訂版が刊行された。2002年の英語版はGibbs Smithから出ており、日本語では『なまけ者のさとり方』の題で翻訳されている。国立国会図書館の書誌では、2014年の増補改訂新版は山川紘矢・山川亜希子の訳であると確認できる。
出版社による紹介では、この本は、意識を開くこと、他者を愛すること、今の自分を受け入れることといった主題を扱う。ゴラスがいう「愛」は、誰かから褒めてもらうことや、あらゆる欲望を満たすこととは異なる。いま経験している自分へ、拒絶だけで応じないという精神的な態度が文章の中心にある。
しかし著者の「愛」や「波動」をめぐる宇宙観は精神世界の思想であって、現在の自然科学によってそのまま実証された仕組みではない。著者の思想としての価値と、科学的な因果法則としての確実さを混同しないようにしたい。
自分を受け入れることと、行為を正当化すること
「何をしていようとも自分を愛せ」という言い方は、どんな行為も善であり、相手に迷惑をかけても構わないという許可に見えるかもしれない。だが自分を完全に嫌うことと、行動に問題があると認めることは別だ。自分の存在を否定せず、行動の責任を引き受けることは両立し得る。
例えば誰かへ失礼なことを言ってしまったとき、「自分は価値のない人間だ」と考える必要はない。しかし、相手が傷ついた事実を無視したり、謝る必要はないと判断したりするのも違う。事実を確かめ、必要なら謝罪や修正をすることまで含めて、自分の次の行動を選ぶことができる。
また、本人が苦しい状況にいるなら、自分を受け入れるという言葉だけで必要な支援が届くとは限らない。生活上の困難には、休息や相談、他者の協力、具体的な環境の変更が必要な場合がある。自己受容を、現実の問題を無視するための義務へ変えないようにしたい。
「見方を変える」と「自分を愛する」は同じ話か
ゴラスには「見るものではなく、見方を変える」という別の言葉も伝えられている。二つの文章は、状況へ反射的に抵抗するより、自分の受け止め方を見直すという点で通じている。自分を嫌う評価そのものを一度問い直すという読み方は、両者に共通する。
一方、見方を変えるとは情報や解釈を再検討すること、自分を愛するとは自分の経験に対する態度を扱うことだ。何を考えるかと、感じている自分へどう接するかは必ずしも同じではない。見方の変更と自己受容を、互いの代用品としてではなく異なる働きとして区別することもできる。
当サイトの関連記事「見るものではなく見方を変える」では、外部の問題を変える必要がある場合と、視点の問題を区別している。本記事は、自分を受け入れながらも、行動の結果に向き合うことができるかという問いに重点を置いた。
何を肯定し、何を変えていくかを選ぶ
この言葉を今の暮らしへ引き寄せれば、できなかったことばかりに注目して、自分の存在全体を否定しないという使い方が考えられる。けれども、何もしなくてよいという結論ではない。いまの自分を否定し尽くさずに、必要な選択をやり直せる余地を残すという解釈だ。

原文の早い掲載例と紹介文は『The Sun』誌の1981年の記事、日本語の流通形は名言ナビで確認できる。2002年英語版の情報はGoogle Booksの書誌、2014年の日本語版は国立国会図書館の書誌を参照した。
『The Sun』の掲載は本人が許可した転載を含む有力な資料だが、本の全版を現物で比較したわけではない。したがって英語での帰属は確認でき、日本語訳の厳密な出典ページと異訳は引き続き照合対象とする。格言を万能の成功法則にせず、自己受容と責任の関係を考える手がかりとして残したい。