以前の私は、仕事で無理ができることを、どこかで強さだと思っていました。
頼まれた仕事はできるだけ引き受ける。忙しくても踏ん張る。期待されれば応えようとする。短い期間だけを見れば、それで乗り切れることもあります。
でも、仕事は一度きりの短距離走ではありません。長く働くことを考えるようになってから、「どこまで頑張れるか」より「どうすれば頑張り続けなくても成果を出せるか」を考える方が大切だと思うようになりました。
頑張れることと、頑張り続けられることは違う
忙しい時期に踏ん張ること自体が悪いわけではありません。仕事にはどうしても山場があります。
問題は、その山場が日常になることです。毎日が例外対応になり、余白がなくなり、休むことに罪悪感を持つ。そうなると、本人の努力でなんとか回っている状態を「通常運転」と勘違いしやすくなります。
一時的に出せる最大出力を、自分の標準出力にしない。これは長く仕事をするうえで、かなり大切な考え方だと思っています。
仕事を断れないことは、誠実さとは限らない
私は、頼まれたことを断るのが得意ではありませんでした。期待に応えたい気持ちもありますし、「できません」と言うことを能力不足のように感じることもありました。
しかし、何でも引き受ければ、どこかで品質か時間か自分自身にしわ寄せが来ます。
本当に責任を持つなら、「ここまではできる」「この期限では難しい」「優先順位を決めてほしい」と早めに伝える必要があります。無理な約束をして後から破るより、最初に条件を調整する方が誠実です。
努力ではなく、仕組みで解決できないか考える
仕事量が増えたとき、最初に考えがちなのは「もっと速くやろう」「もう少し働こう」ということです。
でも、本当に必要なのは別の問いかもしれません。この仕事はそもそも必要なのか。繰り返している作業を仕組み化できないか。誰かと分担できないか。優先順位を変えられないか。
個人の根性で解決している問題は、構造の問題が隠れていることがあります。自分の処理能力を上げるだけではなく、仕事そのものの設計を見直す。この発想は、その後の仕事でも意識するようになりました。
成果と自分の価値を、同じものにしない
仕事に真剣になるほど、成果が出ないと自分自身まで否定されたように感じることがあります。
しかし、企画が通らなかったことと、人として価値がないことは別です。目標を達成できなかったことと、これまでの努力がすべて無意味だったことも同じではありません。
結果は振り返る。でも、自分の価値とは切り分ける。証券営業時代に「断られること」と自分自身を少しずつ分けて考えられるようになったのと同じで、この距離感は仕事を続けるために必要でした。
環境の問題まで、自分の努力不足にしない
仕事がうまくいかないとき、「もっと自分が頑張れば」と考えるのは簡単です。
もちろん改善できることはあります。一方で、仕事量、役割分担、意思決定、マネジメント、組織文化など、個人だけでは解決できない問題もあります。
何でも自責にすると、自分で変えられない問題まで抱え込むことになります。自分が変えるべきことと、環境側で変えるべきことを分けて考える。その視点を持つようになりました。
休むことを、仕事の反対側に置かない
以前は、働いている時間が「前進」で、休んでいる時間は「停止」のように感じることがありました。
今は、長く働くためには休むことも仕事の一部だと考えています。余白があるから考えられることがあります。仕事から離れて初めて、目の前の忙しさを相対化できることもあります。
常に高い出力を維持することではなく、必要なときに力を出せる状態を保つ。その方が、長期的には良い仕事につながるはずです。
長く働くために、頑張り方を変える
若い頃の自分に一つ伝えるなら、「もっと頑張れ」ではありません。
頑張ること自体は、すでに十分できている。それより、何を頑張らないかを決めること。断ること。仕組みに変えること。環境の問題を切り分けること。休むこと。
キャリアは長いものです。一時的に最大速度を出すことより、自分なりの速度で走り続けられることの方が大切になる時期があります。
仕事を続けるために必要なのは、いつも強くなることではなく、ときには頑張り方そのものを変えることなのだと思います。
