人生には、正しい選択と間違った選択がある。
以前の私は、かなり強くそう考えていました。
進学、就職、転職、住む場所、人間関係。大きな分岐点ほど、できるだけ情報を集め、失敗しない選択をしなければならない。
もちろん、よく考えることは大切です。
でも、自分の人生を振り返るほど、「その時点で正解を当てること」には限界があるとも思うようになりました。
選んだ瞬間には、答え合わせができない
ある選択が正しかったかどうかは、選んだ瞬間には分かりません。
転職先が自分に合うか。新しい土地で暮らして良かったと思えるか。始めたことが将来につながるか。
どれだけ調べても、実際に進んでみなければ分からないことがあります。
しかも、選ばなかった人生と比較することはできません。
東京へ来なかった自分も、別の仕事を選んだ自分も、どこかに存在していて比べられるわけではありません。
失敗を全部「成長」にしなくてもいい
以前は、「失敗は成功のもと」「失敗した分だけ成長できる」といった言葉を好んでいました。
今は、もう少し慎重に考えています。
失敗には、ただ痛かっただけのものもあります。避けられたなら避けた方が良かったこともあります。時間が経っても、きれいな物語にはならない経験もあります。
無理に「良い経験だった」と言い換える必要はありません。
ただ、その経験をこれからどう扱うかは考えられます。
過去は変えられない。でも、過去の位置づけは変わる
不思議なのは、同じ出来事でも、数年後には意味が変わることです。
当時は遠回りだと思っていた仕事が、別の仕事で役に立つことがあります。何もできなかったと思っていた時期が、後になって自分の価値観を考える材料になることもあります。
出来事そのものを書き換えることはできません。
でも、自分の人生の中で、その出来事をどこに置くかは変わります。
これは、文章の編集に少し似ています。
一つでは意味の分からなかった断片が、別の断片と並べることで一つの流れになる。削った方がいいものもあれば、昔は不要だと思った一文が最後に効いてくることもあります。
取り返せる選択は、小さく試してみる
だからといって、何でも考えずに選べばいいわけではありません。
今は、「正解か不正解か」より「やり直せるかどうか」を考えることがあります。
やめられる。戻れる。小さく試せる。損失を限定できる。
そういう選択なら、完璧な答えが出るまで止まり続けるより、一度やってみる方が分かることがあります。
反対に、自分や他人の人生に大きく不可逆な影響を与えることは、勢いだけで決めない。
失敗を恐れないことと、リスクを無視することは別です。
「あの選択は正しかったか」を考えすぎない
過去の分岐点について、「別の方を選んでいたら」と考えることがあります。
でも、その問いにはほとんど答えがありません。
それよりも、「この選択をした自分は、ここから何をつくれるか」と考える方が、少なくとも次の行動にはつながります。
選択の正しさは、選んだ瞬間だけで決まるものではないのかもしれません。
人生は、選択より編集なのかもしれない
キャリアについて考えているとき、私は「キャリアは後から編集できる」と思うようになりました。
最近は、それはキャリアだけではないのかもしれないと思っています。
住んだ場所。出会った人。うまくいかなかったこと。夢中になったこと。何もしなかった時間。
それぞれの出来事は、起きた時点ではただの点です。
後になって点と点がつながることもあれば、最後までつながらない点もある。
それでも、自分なりに並べ直し、意味を考え、次の一手を選ぶことはできます。
人生は、最初から正解のルートを見つけて進むゲームではない。
選んだもの、偶然起きたこと、失敗したことまで抱えながら、少しずつ編集していくものなのかもしれません。
