はじめに
「常に酔っていなければならない」。
強烈な一文ですが、シャルル・ボードレールが単純に酒を飲み続けろと言っているわけではありません。
散文詩「酔え(Enivrez-vous)」で、ボードレールは「時間」の重荷から逃れるために、人は絶えず何かに酔わなければならないと書きます。そして、何に酔うのかと問い、「酒でも、詩でも、徳でも、あなたの好きなように」と続けます。
原文は「Il faut être toujours ivre. Tout est là : c’est l’unique question.」。そして「De vin, de poésie ou de vertu, à votre guise. Mais enivrez-vous.」と続きます。
ここでいう「酔い」は、アルコールだけではありません。人間を時間の意識から一時的に解放するほど、何かへ深く没入することです。
なぜ「常に酔う」必要があるのか
「酔え」の冒頭で、理由はすぐに説明されます。
時間という恐ろしい重荷が肩を砕き、人を地面へ屈ませる。その重さを感じないために、絶えず酔わなければならない。
ボードレールが敵として描いているのは、酒に酔っていない状態ではありません。
時間です。
時間は人間を老いへ運び、過去を増やし、残された未来を減らします。何もしなくても進み続け、止めることができません。
その時間を真正面から意識し続ければ、人はその重さに押し潰される。だから何かへ没入し、時間の支配を一時的に忘れる必要がある、というのがこの散文詩の構造です。
「酒でも、詩でも、徳でも」が重要である
この作品を飲酒についての名言として読むと、最も重要な部分を落としてしまいます。
ボードレールは、何に酔うかを限定していません。
酒でもいい。詩でもいい。徳でもいい。
この三つが同列に置かれていることが重要です。
身体を酔わせる酒だけでなく、美や言葉へ没入する詩、さらには善く生きることへの献身まで「酔い」になり得る。
つまりボードレールの「ivresse」は、単なる酩酊より広い概念として使われています。
自分を忘れるほど何かに集中し、時間を数える自分から一時的に自由になること。その状態全体を「酔い」と呼んでいるのです。
酔いが醒めたらどうするのか
この散文詩は、「酔え」と命じて終わりません。
宮殿の階段、溝の緑の草、自室の陰鬱な孤独の中で目を覚まし、すでに酔いが弱まったり消えたりしていることに気づいたらどうするのか。
ボードレールは、風、波、星、鳥、時計に「今は何時か」と尋ねよ、と書きます。
すると世界のあらゆるものが答える。
「酔うべき時だ」と。
逃げるもの、呻くもの、転がるもの、歌うもの、話すもの。動き続ける世界そのものが、人間へ再び没入するよう促します。
「時間の奴隷」にならないための酔い
作品の最後で、ボードレールはさらに目的を明確にします。
「時間の殉教した奴隷」にならないために、絶えず酔え。
ここまで読むと、冒頭の命令がかなり違って見えます。
問題は酒か禁酒かではありません。
時計を見ながら人生が減っていくのを感じ続けるのか。それとも、自分を超える何かへ没入する時間を持つのか。
ボードレールは後者を「酔い」という挑発的な言葉で表現しています。
「時間」と戦うボードレール
時間は、ボードレールの作品に繰り返し現れる主題です。
『悪の華』の詩「時計」では、時計そのものが人間へ語りかける存在として描かれます。そこでは時間は「貪欲な賭博師」のように、必ず勝利するものです。
「酔え」も同じ問題を別の方向から扱っています。
「時計」では時間の不可避性が迫ってくる。「酔え」では、その支配に対して人間ができることが提示される。
時間そのものを止めることはできない。しかし、詩や徳や陶酔によって、時間だけを意識して生きる状態から離れることはできる。
二つの作品をつなげると、ボードレールの時間意識がよりはっきり見えてきます。
現代なら「没頭」と読み替えることもできる
この「酔い」を現代へそのまま持ち込む必要はありません。
むしろ「没頭」と考えると理解しやすくなります。
本を読んでいて時計を見るのを忘れる。文章を書いていたら何時間も過ぎている。音楽を聴く。絵を描く。運動する。誰かを助けることへ夢中になる。
その瞬間、人は時間の中にいながら、時間を数えていません。
もちろん、現代心理学の概念をそのままボードレールへ遡って当てはめることはできません。ただ、「酒でも、詩でも、徳でも」という幅広さを見ると、彼の「酔い」が単なる物質的酩酊を越えていることは明らかです。
逃避なのか、生きる方法なのか
ここには一つの緊張もあります。
時間の重荷を感じないために酔うのであれば、それは現実逃避ではないか。
実際、この作品をそう読むこともできます。
しかしボードレールは、酔いが永遠に続くとは書いていません。むしろ必ず醒める場面を書いています。
酔いは弱まり、消える。そのたびに人は時間へ戻される。そしてまた何かへ没入する。
完全に時間から逃げ切る物語ではありません。
時間に捕まる。酔う。醒める。そしてまた酔う。
その反復そのものが、人間が時間の中で生きる姿として描かれています。
まとめ
「常に酔っていなければならない」は、ボードレールの散文詩「酔え」の冒頭にある真正な一節です。
しかし、これは単純な飲酒礼賛ではありません。
時間という重荷に押し潰されず、「時間の奴隷」にならないために、酒、詩、徳――何であれ、自分を超えるものへ没入せよという言葉です。
しかも酔いは永遠には続きません。醒めたら、世界へ何時かと問い、また酔う。
時間を止めることはできない。それでも、時間だけを数えて生きないことはできる。
この一見過激な命令の奥には、そんな時間と生の問題があります。
出典
Charles Baudelaire, “Enivrez-vous”, Petits Poèmes en prose(『パリの憂鬱』として知られる散文詩集), XXXIII. 1869年版では冒頭に「Il faut être toujours ivre」とあり、「De vin, de poésie ou de vertu, à votre guise」と続きます。
