『オオカミと七匹の子ヤギ』原作のあらすじと結末|グリム1812年版と1857年版

『オオカミと七匹の子ヤギ』は、母ヤギの留守中に、オオカミが声と前足の色を変えて子ヤギたちをだまそうとする物語です。子ヤギたちは最初は見破るものの、最後には扉を開けてしまいます。そして、母ヤギが帰宅してから物語は思いがけない展開を迎えます。

「知らない相手には扉を開けてはいけない」という教訓だけを覚えている人もいるかもしれません。ところがグリム兄弟の『子どもと家庭のメルヘン集』KHM5を読むと、言葉だけでなく声や姿を偽る相手、助けに戻る母親、助かった子どもたち、そして恐ろしい結末までが描かれています。本記事では1812年の初版と1857年の最終版のドイツ語本文を比較します。

この物語は誰が書いた?グリム兄弟と昔話の伝承

この物語は一般に「グリム童話」と呼ばれます。正確には、ヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟が収集・編纂し、版を重ねて編集した昔話の一つです。グリム兄弟がすべての場面をゼロから創作した、という意味ではありません。

『Kinder- und Haus-Märchen』(『子どもと家庭のメルヘン集』)での番号はKHM 5。1812年の第1版にも収められ、1857年の第7版(最終版)にも掲載されています。ドイツ語の題名は「Der Wolf und die sieben jungen Geißlein」。

資料:1812年版の電子翻刻と1857年版の電子翻刻。いずれもWikisourceが歴史的な版をもとに校正したテキストです。口頭伝承の発祥時点まで確定した資料ではありません。

あらすじ①:母ヤギが出かける前の注意

母ヤギは、子どもたちの食べ物を探すため森へ出かけます。その前に、オオカミに気を付けるよう言い残します。オオカミは姿を変えることがあるため、荒い声と黒い足を見て見分けるよう注意するのです。

子ヤギたちは心配しなくてもよいと答え、母ヤギを送り出します。ここで読者には、母親から教えられた見分け方がこれから試されることが分かります。

あらすじ②:オオカミは一度で成功したわけではない

オオカミは母ヤギのふりをして扉を開けるよう求めますが、子ヤギたちはその声が荒いため、すぐにオオカミだと見抜きます。

そこでオオカミは、店で白いチョークを買って食べ、声を変えます。改めて訪ねますが、今度は黒い前足が見えたため、子ヤギたちはまた扉を開けません。

次にオオカミはパン屋へ行って足に生地を塗ってもらい、粉屋には白い小麦粉をかけるよう要求します。1857年版では粉屋が最初は拒むものの、食べると脅されたため従うことが描かれています。

あらすじ③:三度目に扉が開き、六匹が飲み込まれる

三度目に現れたオオカミは、声も足の色も母ヤギに似せています。子ヤギたちは安心して扉を開けてしまい、オオカミが家へ入ります。

子ヤギはそれぞれテーブル、ベッド、炉、家具などの中へ隠れます。オオカミは次々に見つけて飲み込みますが、一番小さな子ヤギは壁時計の箱に隠れて助かります。

「一匹だけが生き残る」という点が、この物語の後半を動かします。後の再話によっては隠れる場所の細部や表現が変わる場合がありますが、ここでの説明はグリム版に沿っています。

あらすじ④:母ヤギは何をして六匹を救うのか

母ヤギが帰宅すると家は荒らされており、子どもたちの姿がありません。壁時計に隠れていた末の子が事態を説明します。母ヤギは外へ探しに行き、腹を満たして眠るオオカミを見つけます。

母ヤギが腹を切り開くと、飲み込まれた六匹は傷つかずに飛び出してきます。母ヤギと子ヤギは、オオカミの腹に重い石を入れて縫い合わせます。

目を覚ましたオオカミは水を飲もうと井戸へ向かいますが、石の重さで落ちて死んでしまいます。子ヤギたちは母ヤギと再会したことを喜びます。これはグリム版に記された結末であり、子ども向けの現代の再話が必ず同じように描くとは限りません。

1812年版と1857年版を比べると何が違う?

二つの版で、母ヤギの留守、声・足の変装、六匹が飲み込まれる展開、腹からの救出、石と井戸という骨格は共通しています。大きな違いは、1857年版の方が会話や情景描写が増えていることです。

  • 母ヤギの注意:1812年版は比較的簡潔。1857年版は母と子の会話や注意をより丁寧に描写
  • 粉屋の場面:1812年版にも脅されて粉をかける描写がある。1857年版では粉屋の疑いが明示され、途中に語り手のコメントが加わる
  • 母ヤギの帰宅:1857年版は散らかった家の様子や、子どもを呼ぶ母の行動が細かく描かれる
  • 結末:どちらも井戸に落ちたオオカミが死に、七匹が喜ぶ。『初版には残酷な結末がなく後で追加された』とは言えない

つまり、版の違いは「初版は明るい童話、最終版は残酷」という単純なものではありません。話の筋を維持しながら、語り方が変化していると読み取れます。

1857年版には、語り手の意外な一言がある

1857年版の粉屋の場面には、オオカミに脅されて仕事をしたあとに「Ja, das sind die Menschen.」という語り手の短い言葉があります。直訳すれば「そう、これが人間たちなのだ」といった意味です。

この言葉は、単に子ヤギへ「人を信じるな」と教える箇所ではありません。脅されて加担してしまう人間の振る舞いに、語り手が目を向ける部分です。ただし、なぜこの言葉が加えられたかについて、今回の本文比較だけでグリム兄弟の編集意図を確定することはできません。

教訓は「相手を見抜け」だけではない

子ヤギたちは最初から無警戒なのではありません。むしろ二度にわたってオオカミを見抜きます。それでも、声と足という確かめ方の両方が偽装されると、判断に失敗してしまいます。

この構造から、一つの合図が正しそうでも、相手の身元が確定するわけではないという読み方ができます。ただし、これは現代の読者による解釈であり、グリム兄弟が現代の認証技術や詐欺対策を予測していたという意味ではありません。

また、母ヤギが戻って子どもたちを救い出す場面にも意味があります。間違えた子どもを責めて終わるのではなく、危機のあとに救出が描かれているのです。

子どもへ読むときは、残酷な展開をどう扱う?

グリム版には、飲み込まれる子ヤギ、腹を切る場面、井戸に落ちるオオカミという怖い描写があります。読み手が幼い子どもに話す場合、年齢や怖さへの反応に応じて、伝え方を選んでもよいでしょう。

ただし、怖い部分を省いた再話を「原典そのもの」と紹介してしまうと、作品が変化してきた歴史が見えなくなります。原典と現代の再話は区別できる形で扱うのがよいでしょう。

ほかのグリム童話と読み比べるなら

グリム兄弟の作品には、子どもが危険な相手や環境に直面し、機転や援助によって状況が変わるものがあります。『ヘンゼルとグレーテル』の1812年版と1857年版では、家族関係の描写の違いを扱いました。

また、『ブレーメンの音楽隊』は、人間社会から役割を失ったと見なされる動物たちの共同生活を描きます。どちらも同じ「グリム童話」という分類に入りますが、話の主題と構造は異なります。

まとめ:見破れなかったことと、助けられること

『オオカミと七匹の子ヤギ』は、母の注意を聞いた子どもたちが、巧みな偽装に対して何度か抵抗し、それでも危険に遭う物語です。結末まで読むと、警戒だけでなく、家族による救出の話でもあります。

1812年の初版と1857年の最終版では、根幹となる出来事は共通しつつ描写に違いがあります。童話を一つの道徳に閉じ込めず、版の違いと結末を合わせて読んでみましょう。

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