「人窮すれば天を呼ぶ。」
司馬遷の言葉として知られるこの表現には、『史記』「屈原賈生列伝」に明確な原文があります。ただし、現在流通する日本語は原文を短くした形です。
原典は『史記』屈原賈生列伝
屈原が『離騒』を書いた理由を司馬遷が論じる箇所に、次の文章があります。
夫天者,人之始也;父母者,人之本也。人窮則反本,故勞苦倦極,未嘗不呼天也;疾痛慘怛,未嘗不呼父母也。
「窮すれば天を呼ぶ」だけではない
原文にはまず「人窮則反本」――人は追い詰められると、その根本へ立ち返る――という考えがあります。
そして、疲れ苦しみ極まれば天を呼び、痛みに耐えられなければ父母を呼ぶ、と続きます。
つまり「困ったら神頼みをする」という軽い意味ではありません。人間が極限状態で、自分の根源だと感じるものへ戻ろうとする姿を説明しています。
司馬遷自身の苦難から直接生まれた言葉、とは言えない
旧記事では、司馬遷自身の宮刑や苦難をこの一文の直接的な成立背景として説明していました。
しかし原典のこの箇所で論じられているのは屈原です。司馬遷の人生と重ねて読む解釈は可能でも、「自身の体験からこの言葉が生まれた」と断定するのは行き過ぎです。
『離騒』を読むための文章
司馬遷は、忠誠を尽くしながら疑われ、讒言によって退けられた屈原の苦境を説明し、その怨みや苦しみが『離騒』へつながったと論じます。
したがって、この一節は独立した人生訓というより、苦境にある屈原と『離騒』を理解するための歴史家の文章として読むと輪郭がはっきりします。
出典状態
意訳・文言変化。『史記』屈原賈生列伝に原文を確認できますが、「人窮すれば天を呼ぶ」は「人窮則反本」から「未嘗不呼天也」までを短い日本語の格言形に圧縮した表現です。